忘れる事は生涯無いと思います、

愛の肉球会の代表理事が産まれた翌年の1月17日の早朝5時46分に西宮市で地震に襲われました。

即座に娘を抱き上げ、私の両親に預けていた長女の下に、急ぎました。

通常なら、10分も掛からない距離ですが、この日は至る所で家が倒壊しており、先へ進めなかったのを鮮明に覚えています。

両親も長女も無事でしたので、親族の下を1件ずつ回りました、1軒の伯父さん宅が倒壊寸前で、屋外に出て呆然と立ちすくんでいたので、車に乗せ落ち着かせ、両親を避難させた場所まで連れて行き取り合えず両親に預けました。

直ぐ近くに西宮市卸市場があり、知り合いが店をやっていたので、食品の購入に走り、親族全員分の食料を分けてもらいました。

私が食料を仕入れに行ってる間に、父親が他の親族を避難しているところへ連れて来てくれていました。

全員で10人以上で避難する事に成りました。

直ぐに公園の片隅にブルーシートを張り巡らし、4.5帖程の仮説部屋を確保し、一斗缶と廃材を集め雨風が凌げて暖を取れるようにしました。

そこで、初めて買い出ししていた朝食をみんなと食べました。

その後、知り合いの車やに行き、ワンボックスカー2台用意し、実家から布団を持ち出し、ワンボックスの後部座席をフラットにし、布団を敷き年老いた、伯父さん夫婦と伯母さんがが寝れるように用意しました。

ここまで用意した後、新世界まで車を走らせました。

武庫川が渡る事が出来ず、新世界には行けませんでした。

震災は体験者でなければ解らない事が多々あると思います。

食事や救助物資は避難所に避難している人にしか分け与えられません。

避難所に入れず、避難所外で避難している人にまで届きません。

その様な経験をしているからこそ、私は避難する人に優先順位をつけるべきだと言っているのです。

救援物資の中でも意外と見落とされているのが、女の人の生理用品です。

能登半島地震に遭われました被災者の方、先の事を考えず、今を生き抜いて下さい。

日本は時間は掛かりますが、最後の独りまで、生活の再建に協力してくれる優しい国です。

ただ決断するのが遅いだけです。

今さえ生き延びれば何とかなります。

輪島へ救援物資を届けてくれた仲間からの情報だと、避難所内でコロナウィルスが蔓延しだしていると現地で聞いたようです。

家族の命を守る決断をして行動に移してください。

家族を危険なところから安心安全な場所へ避難させてあげてください。

感染症が蔓延している避難所は安全な場所では無いと思います。

救援物資を届けてい皆様、行政に渡せば避難所にいる人たちだけにしか届きません。

本当に物資を必要としている人には届きません。

本当に必要としている被災者の皆さんの手に届けてあげて下さい。

避難所に届けても、避難の必要が無い者まで集まって来て奪い合いに成るだけで、弱いお年寄りや子供にまで届きません。