出逢ってくださってありがとうございます。



トラウマや病、

 

そして人生の中で抱えてしまったあなたの生き辛さや苦しさを輝きに変えて

 

自分史上最高に幸せに生きる方法、

 

虐待、貧困、病、自己否定…


全てが実体験だからこその、前を向く為の真実をお伝えしたい、


シュクラと申します。

 

 

今日は、【生き辛さ】ってどうやったら輝きに変えられるの?ってお話です。

 

 私達って、別段苦しんだ事がない方から励ましは頂けても、

または、よくわからない中途半端なヒーリングや霊感商法なんぞでは全く歯が立たない体験をしていますよね。



ほんとの意味で「ああ、生きよう!」って言えるまでって本当に大変です。


 本日は、本気で生き辛さを乗り越えた実体験から、

自分の天職を叶えるまで真っ直ぐに生きてきた、

克服成功者のお話をいたします。


先日「ガイアの夜明け」という、この、TVがその時についていれば必ず見る番組を、

 

ふと見ていたら引き込まれた人物がいました。
 
 
 
「銀座 ナオランジェリーのオーナー兼デザイナーのナオさん」の会。
 
 
まずは、とっても素晴らしい色とデザインにも引き込まれながら見ていたのですが、
 
日頃から、市販のランジェリーの着心地がものすごく嫌だった私は、
 
その、そっと守り包むようなデザインにものすごく魅力を感じました。
 
 
見ているうちに、デザイナーのナオさんの細かな繊細な場所へのこだわりがなんとなく神懸かり的に見えて、
 
 
純粋に、彼女はこの素敵なランジェリーに猛烈なこだわりを持つモチベーション、そしてなんの嫌味も感じないのはいったい何なのかと知りたくなりました。
 
 
すると、番組中盤で彼女の過ごしてきた少女時代の心の傷が、
このような彼女の素晴らしい女神的な天職に導いたのだと感じました。
 
 
 
以下の文を見ていただければ、
おなじような傷付きがあるかたへの励みや勇気になるのではないかと思いました。
 
 
 
*****

【ナオランジェリー デザイナー ナオさんのMESSAGE】

ランジェリーは、自らの女性性を賞賛し、生まれ持った美しさを引き出し、自尊心を満たすものだと思っています。

女性を応援してくれる素晴らしいランジェリーを好きになり始めたのは、中学2年生の時でした。

 

その後、高校生になると初めて自分で購入したマリンブルー×青い花がほどこされたものを皮切りに、国産では最高級の下着を買うようになり、大学生からはインポートの官能的で甘美な世界観を楽しむようになりました。

 

私は何故、こんなにランジェリーに惹かれてきたのだろうか。

それは、「女性として生まれてきたことに誇りを持つ」ことが私自身に必要だったからだと思います。

 

私は小学生の頃、人や社会から強く拒絶されているように感じていました。

また、強烈な劣等感を持ち、

女性に生まれたからこその悲しい想いをしたこともありました。

 

家族や学校、塾にもどこにも居場所がない、このまま社会の一員として生きていてもいいのだろうか、

何故生まれてきたのだろうか、と一生懸命に考えていました。

中学生になっても気持ちは変わりませんでしたが、「私は美しい」と女性として初めて自信を持つことができたのが、鏡に映るランジェリー姿の私でした。

 

この衝撃はとても大きく、これは今でも変わりません。

 

そんな、ただただランジェリーが大好きな女の子でしたが、今では、ランジェリーブランドを作るという夢を実現することができました。

自信をつけてくれた、私にとって大切なランジェリーを多くの方に広め、皆様の心を、皆様の自尊心を満たすことができたらこの上ない喜びと、日々ブランド運営をしています。

 

人は、自分の心が満たされて、初めて他者の幸せを願うことができると思います。

 

このナオランジェリーが広く伝わるにつれて、思いやりに溢れる女性が増え、愛のある社会になることを願っています。

 

~私が抱えていたような悩みを持つ子供達のために~…*****

 

…ここからは是非、サイトを訪れて読んで下さい!!

 
 
 
 
 
 
 
 
私も、中学2年も終わりに近づくまでは、一切母親にはブラジャーを買ってもらえませんでした。
 
 
ようやく購入した場所は、我が家でなくてとある公的な機関でした。
 
気管支喘息と、一時的な心身症疑いと不登校が理由で、
中学後半に中学校卒業の為に児童心療保護施設で8ヶ月ほど暮らし、施設の分校で中学校を卒業しました。
 
 
施設に入ったときに、沢山寮母さんがいる中で1人の寮母さんに「下着が無い」ことを心配してもらい、
一緒に洋品店に赴き、人生初のブラジャーを購入してもらえたのです。
 
 
ヒラヒラしたものではなく、シンプルなジュニアブラだったのですが、
私はものすごく恥ずかしかったのと、
ものすごく女の子として認めてもらえたような嬉しいときめくような気持ちになりました。
 


どんなきっかけがあって不登校になったのか、そして公的施設に入る事になったのかといえば、

私は気管支喘息の発作も頻繁でしたが、何故だか常に謎の無力感に襲われるようにもなりました。

中学半ばに、生まれつきの心臓の病気だったのですが、当時の保健の先生がオペをしなければ長くは生きられないことを知り、家庭訪問を重ねて母を説得してくれて、
福祉の力でオペを進めていただき、数ヶ月の入院後に完治をし、それが済んだ後に起こったことが発端でした。
 
 
元気になって再び登校できたのもつかの間、
国語の教科教師が私が休んでる間にクラス全員の前でとんでもない発言をし、
その発言が私にはものすごくショックで、
私はそれから学校に行くのが怖くなりました。
 
 その国語教科教師が発した言葉は、
私が心臓が悪くなった原因が自分の姿形に理由があり、
「そりゃ、あんな顔毎日自分で見てたら心臓も悪くなるわな。」と、
国語の授業の最中に私について語ったそうです。
 
 
親友は良かれの気持ちで私にそれを教えてくれましたが、
自分の家では、兄には姉妹の中で一番不細工だとことあるごとにけなされていたのと、
私はそのときに丁度、人生初の大失恋も重なっていたので、
もう本当に辛くて辛くて消えたい気持ちで頭がいっぱいになってしまいました。
 

私はこの中学生という思春期に強い衝撃を心受けたのと同時に、
もう誰も信じたく無い気持ちになって絶対にこの教師に屈したくないという気持ちで、
私は絶対に学校に行きたく無いと思ったのです。
 

そのことを母に伝えるも、母は学校にはその事を言わなかったようで、
「顔だよ、心だよ。心が美しくなりなさい。」と…、

私も親となり今でこそ思いますが、
「その発言って何?」
認めたも同然というか、

なんで私を擁護する事さえもしてくれなかったのかと、
これだけでも相当哀しくて既にこの世から消えたくなっていました。
 
 

 
 
その国語の教師は寺の息子で、教師をした後に坊さんになるときいていました。
 
 
私はこのときにもう既に、先生だろうが坊さんだろうが、人間が腐っているひとはわんさかいて、
それが教師にもなれれば、坊さんにもなれる。
それがまかり通る現実なんだと、もう悲しさしかありませんでした。
 
 
それをきっかけに、自己否定する気持ちは益々エスカレートしてゆき、
 
ついに心身症と醜形恐怖症となり、
 
鏡を全くみるのをやめてしまいました。
 
 
 
見るのは全体ではなく、部分的に見るだけで、
顔は視力をわざとぼやかせて見ないようにしていました。
 
 
 
 
 
 
 
…、そんな私が施設に一時的に暮らして良かった事がありました。
 
私は今迄、ちゃんとしたティーンがするようなブラジャーや生理用品(いままで年配の人が履くようなものとか、小学生用のものしかありませんでした。
しかもほんの数枚を洗い替えするにも大変な枚数でした)、
そして、なによりも普通の暮らし、
普通の生活のリズムというのを知ったのです。
 
 
朝はきちんとおはようといい、朝食をすませ、
 
勉強し、宿題をし、
 
 
夕飯食べたら当然1日の汚れや疲れを落とすためにお風呂に入るという生活…。
 
 
 
 
何もかもがきちんとしていて、
わたしは本当にこの数ヶ月で全てのまともな日常というものを知りました。
 
そしてなによりも、まともな大人がいることを知りました。
 
わたしのために一緒に泣いてくれる大人がいたのは、私にとってはかなり衝撃的な出来事でした。
 
 
 
こんな私の為に、一番信頼していた優しい優しい寮母さんは、
私の話を聞きながら泣いてくれたのです。
 
 
わたしはまだその時に、自分の人生で一番キツイ記憶のかけら(PTSDの原因)は全く蓋がされていたので、
その時に泣いた理由というのが、
とにかく母が施設に全く来てくれなかった、
会いに来てくれなかった事でした。
 
親の会というのが半年に一度あったのですが、その日に大体の親は我が子の様子を見に来ます。
 
それぞれの事情で、心療科医師の判断では、逆に医師側が絶対に親に合わせない子供もいて、
 
そんな様子も見ていたのではありますが、
会うことができる子はさまざまな差し入れがあったり照れたり笑ったりしていてさまざまでした。
 
 
私はその時は何故か母が来ないのが辛くて辛くてたまらなくて、
 
そんなに母を慕っていたわけではないはずなのに、「やっぱり妹のが大事なんだ。」とか、
ネガティブな妄想で部屋から出ず食事も拒否していました。
 
 
ですが、そんな話を赤の他人でもある寮母さんが、
丁寧に丁寧に私のペースで話を聞いてくださり、
「そっかあ、そうかあ…。」と、私の手を握って、
涙と鼻水を流しながらただただ聴いてくださったのでした。
 
 
 
叱るでもなく、諭すでもなく、
こんな、暖かさがあるのだと、
私はただただ心が癒されて前に向く気持ちになれてました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
施設にいる子たちは、
いずれも心に大きな傷を持つ子ばかりで、
LGBTの子もいればADHAの子、家庭の事情により一緒に住むと傷付けられてしまう子。
 
 
わたしはそのくらしで人々の多様性があることを実感するのですが、
 
一方で、こんな素敵な子達を傷付ける大人がいるのだと、
自分の親は置いといても、
資産も肩書きも関係なく、そんな人々がいるのだと、なんだか許せないような複雑な気持ちになりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
…長くなりましたが、
自分の生き辛さって、辛さに溺れてしまうだけでは本当にもったい無くって、
 
 
 
いかに本当に素敵な人間はどんな人なのか、見る目が着くとおもいます。
 
 
素晴らしい人間を見抜けるということは、
素晴らしい人間になれるということでもあります。
 
 
 
だから、私は辛さに諦めないで、
 
 
あなたはあなたなりの傷付きから輝きに変えて欲しいって心から思うんです。
 
 
 
宝石の原石って、磨かれないとかがやかないのです。
 
あなたは原石だとおもいます。
 
 
 
どんな宝石が隠れていたのか、
 
 
磨くには時にはすごく痛い時もあるけど、
 
時に清らかな雨が降りあなたを浄化だってしてくれる。
 
 
時には、あなたの輝きがどんなであるか、
素晴らしい出会いがあなたに光を当ててくれる時だってあります。
 
 
 
ナオさんのように、
どうか、あなたも素敵な人生を開いていってください。
 
 
人生なにがおこるかなんてわからないけど、
悪いことばかりでは絶対にない。
 
 
 
 
 
 
どうか、あなたの痛みがすこしでもやわらいでくれますように。
 
 
いつでも私も、ここにいますからね。