出逢ってくださってありがとうございます。
トラウマや病、
そして人生の中で抱えてしまったあなたの生き辛さや苦しさを輝きに変えて
自分史上最高に幸せに生きる方法をお伝えしたい、
シュクラと申します。
(と名乗っていますが…宇宙人さんのようで、まだまだその境地に至ってはいない未熟な私ですので、
何かいいハンドルネームは無いかと今は考え中です。笑)
だと思うのですが、
そのイメージが感情的・特に感覚的にも皆が幸せな状況にある人々にまず憧れを持ってみる事だと思うのです。
私がまだ子供の時に、辛いなぁと思う日々が続いた時にものすごく力をもらえたのは、
当時NHKで夕方に放送されていた「大草原の小さな家」の主人公ローラに私は感情移入し、
そして力をもらえていました。
主人公ローラは、優しさ溢れる、そして困難に立ち向かい荒野を開拓する強さをもっている両親の元で育ち、
また、美しく聡明な姉と喧嘩をしながらもお互いが信頼し合って助け合うような家族でした。
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私の当時の現実の世界は、父はアルコール中毒で仕事は私が物心ついた時にはすでに全く仕事をしていない状態、
母は夜の世界で働き夜はいなくて昼間は夕方まで父と居間で寝ている生活で、
それを横目に私たちはなるべく居間や家に居ないようにしておりました。
兄弟は沢山居ましたが、小学生ながら一番姉である私はなにかと家事を言いつけられるのですが、
朝は兄弟人数分のパンを当時の母の日給の一部をもらい、朝から近所のはやおきなあタバコ屋さんへとパンを買いに走ったり、
もしくはカップヌードルだったと思うのですがそれを作って朝食にしたり、
でもそれが毎日続くはずも無いので、なんらかの…なにを食べていたのか今ではほんとうに遠い記憶ですが…味噌汁にごはんとか、一般的朝ごはん、そんな朝ごはんのイメージが全く記憶になくて。(笑)
そもそも一日のルーティーンがこれでしたから、
まともな生活というのが朝昼晩と、そもそも普通が全く分からないのです。
誰かに教えてもらってる訳でもなく、また、幼いのでお米の炊き方ぐらいまでしか(しかもガス炊飯器ってご存知でしょうか?)それくらいしか出来る訳も無く。
(映画の柳楽君主演の「誰も知らない」という映画がありましたが、
その状況を身を以て経験としている、共感出来るような…そんな家の状態でした。
だから、私はんまり悲惨な状況をドラマや映画なんて全くシャレにもならないノンフィクションな生活なので、そんな世界を娯楽にしているような人は今でもですがあまり好きではないのでありました)
そんな風に、なぜか小さいお母さん的な役割が求められていた私ですが、
時にそれらを失敗してしまったり(炊飯の水加減間違えたとか)洗濯なども上手く出来てないと、
後から「○○があっただろうが!」「洗剤と電気代の無駄じゃないか!」と後から母にはヒステリックに怒られたりとか…、
「もういい!!」とその後は母の怒りが何処かに行くまで無視され続けていたりして。(苦笑)
今思えばその御蔭で自分で何とか工夫して何かを作ったりとか、お料理も見よう見まねで独学で学んだりとかは得意な訳ですが、
親という存在はあるのに関わらず、家事や掃除が全くなされてないゴミだらけの借家の中で、
自分より小さい妹の泣きわめきをなだめたり、
お腹好いたと言われればなぞの小麦粉を焼いただけのものを作って兄弟で食べたり。
(当時はテレビで見たホットケーキの真似でしたが、何が入っていてどんな味かも知らないので正解が分からない、そして膨らまない!笑)
当時はこんな貧しいのは周りを見渡しても我が家位しか無かったので、どれをどうしたらよいのかとにかく私には分からない状態でした。
(その昔の昭和時代は、そんな極端な家庭はほんの僅か一部であったのでしたが、
なかなかどうしたことか負の連鎖を世間も放置していた為に、現代ではよりこのような家庭が増えて大きくなっていますよね)
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そうなると、何が正解なのかが全く分からない私は、友人の家に遊びにいったときに
(でも、友人が出来て招かれても、友人の親が我が家の事情を知り始めると、とたんに遊ぶ事を禁止させるようになるのくりかえし)
「普通のご家庭」という穏やかさって「本当はこうだったのか!」と驚くのです。
でも言うと親は烈火の如く怒り、そんなに嫌なら出てけ!!!と頬をはたかれて本気で外に放り出される。(苦笑)
それでも神様が生きる強さをくれていた子供時代でしたから、
なんとかどうしたら幸せになれるか知りたいのです。
そこで、上に書いた「大草原の小さな家」というのは私の中では「カリスマ的家族モデル」となり、
掃除をする事や、洗濯をする事、
そして家族が協力し合う事が「幸せな家族の関係」だとようやく知るのでした。
ついでになぜか何らかのパイ(作品中ではミートパイやアップルパイ)ってこうやって作るのか!と、
オーブンなんて無かったけど、なんとかパンを焼く小さなトースターはパチンコの景品かなにかで我が家にあったので、
それで「それらしき形をした、小麦粉の塊」を焼いたら「お姉ちゃん凄い!」って妹達に褒められて、兄弟で食べたのを覚えています。
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この先も色々と稀な生活は続いて行く訳ですが、
どうにも明るく言葉にできないかと、
読んでいる方が落ち込まず読める方法が無いのかと、
それでも、この「虐 体 とか ネグレク ト」 とか、(わざと離して書いてますが、なにか例えないでしょうか?)
私としては、今も現れ続けている氷山の一角のその下に居る子供達が、
どうにか救われる方法や、
そうしてしまう大人達も、どしてそうしてしまうのかを、
私はなんとかして、「本当はそんなあなたは、ちゃんと幸せにならないといけないんだよ!」って
教えてあげたいと願っています。
とりとめも無いですが、
こうやって試行錯誤しながら、スッとみなさんに嫌な気持ちにさせないように伝わる書き方を模索したいと思っています。
だって、私今、そんな事があったけど本当に生きてて良かったって思っていますもの。
読んで下さってありがとうございます!