kenです。

 

 エホバの証人をやめると言うことを伝え,会衆で発表された後のことを「残念なメール①②」と題してfukuが書きました。

 

 つい先日,近くのスーパーでfukuがメールを送ったS姉妹を見かけました。S姉妹は帽子を深々とかぶり,マスクをしており近くで見ないと分からない出で立ちでした。

 私たちはあえて声をかけることをせず,遠目で見ていました。ところがfukuがカートを返しに行って戻ろうとした時,S姉妹と鉢合わせしてしまいました。

 

 わたしは二人がどう反応するだろうかと見ていましたが,fukuが「あっ」と気がついて笑顔で手を振ったところ,かつての親友だったS姉妹は,fukuの顔を見たとたんすぐに目をそらして,行ってしまいました。

 

 それから数日後,私が同じスーパーに買い物に行ったときのことです。入り口のレジのところに,S姉妹らしき人が並んでいました。わたしは顔を見てS姉妹だと思い,「こんにちは」と声をかけました。S姉妹はほんのわずか頷く動作をされましたが,目線は別のところを向いていました。

 

 あれだけ「兄弟,兄弟」と言い寄ってこられていたS姉妹でしたが,こんなに変わるものかと残念に思うと同時に,この宗教の幼稚さにあきれてしまいました。自分がしていることを疑問に思わず,言われるがままに従う子どものような人たちを作り出すのです。

 

 わたしには関東に住んでいる従姉がいます。従姉はカトリック教会に所属していて,研究生のころ従姉とエホバの証人のことについて夜遅くまで議論し合ったことがありました。

 

 30数年後,従姉にわたしたちがエホバの証人を辞めたことを伝えると,とても喜んでくれました。そして,わたしたちがこれまでエホバの証人ゆえに,周りの人たちに迷惑をかけたことを詫びると,「心は自由だから・・・謝ることはないですよ。」と慰めてくれました。

 

 カトリックの人たちは,その宗教を辞めたからといって,その人を忌避することはありません。それだけ成熟している大人の宗教だと思います。

 

 わたしはエホバの証人の人たちに聞いてみたい。

 

 あなたたちは,断絶した人や排斥された人を忌避することは聖書の原則に従っていると言います。では,「聖書は私たちに何をするように求めているでしょうか。一言で言ったら何ですか?」

 

 それは「愛」に他なりません。「忌避することと愛を示すことはどちらが上位にありますか?」間違いなく「愛を示すこと」と答えるでしょう。「汝の敵を愛せよ」とまで言われたアガペーの愛です。それが,キリスト教の神髄なのではないでしょうか。よって,クリスチャンはこの「愛を示す」ということを最優先すべきなのです。

 

 どこの誰だか分からないヨハネと言う名の一人の人間が記した手紙の一文よりも,イエス・キリストの教えに従うことが最優先されるべきでなのです。

 

 忌避する人たちは聖書の原則に従っていると自負しているかもしれませんが,イエスが言われた愛の原則には従っていません。

 

 エホバの証人の皆さん,あなたたちは今イエスのことを集会で学んでいますよね。イエスは「私が道であり真理であり命である」と言われたのではないでしょうか。いったい何を学んでいるのですか。集会に行って注解して満足しているだけなのですか。教えを実践してこそクリスチャンと言えるのではないですか・・・と。

 

 でもいくら言っても分かってもらえないんですよね・・・・・。ショボーン