fukuです。

 

就職して3年めに熱血開拓者K姉妹との家庭聖書研究が始まりました。

K姉妹にぐいぐい引っ張られ,毎週の研究だけでなく段階的に5つの集会に出席するようになりました。途中それぞれ一度だけ特別集会と巡回大会にも行きました。

仕事が多忙で,研究の予定日をずらしてもらうことがよくあり,日曜日の集会の途中で帰ることもありました。

K姉妹は度々こう言いました。「fukuさん,仕事の為に人生をすり減らすのはもったいないですよ。神の為に働く開拓奉仕はやりがいがあって楽しいですよ。」

私はJWになる気は全くなかったし,家の事情で年度末には引っ越すつもりだったので「冗談言わないでくださいよー。」と受け流していましたが,内心とても不快でした。

 

末っ子の私は,小規模農家の両親が子供三人を進学させるのにどれほど無理をして働いたかを間近で見ていましたし,就職氷河期に大学を卒業した上の姉の仕事が決まらず予想外の結婚をした時の母の心痛を知っていました。

どんなに仕事が大変でも 「辞められる訳ないじゃないむかっ」

 

K姉妹は研究参加と食事招待でも誘導してきました。

A長老兄弟の家で家庭聖書研究をして,その後夕食をいただきました。そしてJWになったいきさつや大会の経験などいろんな話を聞きました。その時,A姉妹がかつて私と同じ職種であったけど聖書研究を始めて半年ほどで辞職されたことを知りました。

K姉妹は「真理を知ってすぐに行動したA姉妹は素晴らしい!」と褒めちぎりました。

A姉妹は「若かったし―職場に迷惑をかけてしまいましたねー」と恥ずかしそうに答えておられました。

K姉妹が言うように,JW的には立派な決断だったのでしょう。

でも私は,『中途退職なんて無責任極まりないむかっむかっ』と呆れてしまいました。

A姉妹ご自身がいささか早計だったと悔いておられるように感じたのであえて口には出しませんでしたが-。

JWは昔から仕事に対する考え方が歪んでいたんですね。

 

結局私はK姉妹と約10ヶ月聖書研究をしました。その間,5つの集会に行くようになり神権宣教学校の割り当ても1回しました。集会で注解もしていたので進歩的な研究生だと思われていたようです。

私の引っ越しの際,書籍研究の群れの皆さんが寄せ書きしてくださった色紙には是非とも「姉妹」になられますようにと書かれていました。

K姉妹からは「私の研究生で泣かなかったのはfukuさんだけよ。」という有難い!?お言葉と「これを見ていつも私を思い出してね」と萩焼の花瓶をいただいて,転勤し7年ぶりに地元に戻りました。