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愛してはいけないの

音譜音譜音譜

「KIM NAM GIL ROAD SHOW 2019 熱血夏季-Summer Fever-」💘💘💘

 

 

 

 

 

 

2月13日

ナムギルニュ-ス

  [企画] Interview(lov)er、キムナムギルに会います

 

 

「何でも聞いてください。 私はインタビューが好きです。」

8月のある日、すでに数十メディアと数件のラウンドインタビューを終えた後、<シネ21>との単独インタビューを待っていた俳優キム·ナムギルが記者に渡した優しい一言だ。 キム・ナムギルは自他共に認める素晴らしいインタビューだ。 彼は、率直な答えと慎重な答えの間のバランスを驚き、韓国ほど精巧に維持し、結局インタビュアーを魅了してインタビューの本分はしばらく忘れ、彼と喜んでおしゃべりをさせる才談師だ。 自らムードメーカーを自任するインタビューがキム·ナムギルは愉快で親切な態度でインタビュー現場を陣頭指揮することはもちろん、その日の気象環境とインタビュー場所のムードに合わせてインタビューの雰囲気を調整する細心さも備えた。 先に言及した8月のある日、雨降る夕暮れを見ながら窓際の席に座ってインタビューをするのはどうかと先に提案したのもキム·ナムギルだった。 何よりもキム·ナムギルが立派なインタビューである理由は、彼が千変万化する人だからだ。 よく知られているようにキム·ナムギルは多くの話題作に出演したのはもちろん、2度の演技大賞を受賞したトップ俳優であると同時に文化芸術NGO「ギルストーリー」を10年以上運営してきた市民団体代表だ。 インタビューを愛するキム·ナムギルは発行人の資格で2022年ギルストーリーの活動家であるプロボノたちのインタビューを盛り込んだインタビュー集<CUP Vol 1:個人の好みはどのようにインスピレーションになるのか>を出版した。 そして2023年、キム·ナムギルは2番目のインタビュー集「CUP Vol 2:俳優キム·ナムギルの対話集後:)談話」(以下「後談話」)を世に出した。 前のインタビュー集と違いがあるとすれば、今回はキム·ナムギルが直接「インタビュアー」として出た。 同年MBCで放送された「何かは残そう」で会った全国各地の「路上の師匠」を一々再び訪ねてインタビューしたのだ。 インタビューを愛し、自らインタビュアーになったキム·ナムギルに会い、「インタビューに対するインタビュー」を行った。 そしてNGO代表として彼が歩んできた道を振り返り、作品広報シーズンには簡単に聞きにくい俳優キム·ナムギルに関しても話を交わした。 この日の対話はキム·ナムギルも予想し<シネ21>も予想したように、約束した時間を軽く越えた。

*続く記事で俳優キム·ナムギルとのインタビューが続きます。

 

 

 

 

  【インタビュー】キム·ナムギルの率直な質問、「CUP Vol 2:俳優キム·ナムギルの対話集後:)談話」

 

 

- 通常、インタビューとして位置づけられ、『何かは残そう』と『後談話』ではインタビュアーとして位置づけられました。
= 私がインタビューであれ、インタビュアーであれ、気持ちは同じだと思いました。 ご存知のように、私はインタビューが好きなんです。 (笑い)よく知らない人たちが会ってお互いに話を交わす時間も良いし、今日のように旧知の記者と会ってこれまでの近況を共有し、より深みのある対話を交わす時も良いです。 インタビューをしていると、質問者が形式的に出てきたのか、それとも私や私の作品に愛情を持って取材した後に出てきたのか、感じざるを得ないじゃないですか? 「本の中のインタビュー人たちに会いに行く時、一生懸命勉強していきました。 話をしていると、この方々が持つ信念に関する質問も自然に投げると予想して行きました。

- インタビューはどのように準備していきましたか。
= 先生方を扱った市中の記事を探して読んで。 そして放送録画当時、製作スタッフにこの方々に関して私が気になった点をあらかじめ質問してくれることを要請しました。 スタッフが行った事前インタビューをもとに重なる質問は消していきました。 形式的な質問もしたくなかったですし。率直な私で会話に臨めば良いインタビューになると思いました

 

ーキム・ナムギルのインタビュー現場を描写してくれるとしたら。
= <陰口>がインタビューを盛り込んだ本ではありますが、インタビュー集ではなく対話集と命名した理由があります。 久しぶりに会った友達と会話するように、放送でできなかった話をしてほしかったです。 どうしても放送を撮影する時は普遍的な質問をしたとすれば、またお会いした時はより違う質問をしました。 遅ればせながらの告白ですが、『何かは残そう』でチョン·ジア作家にお会いした後、私がすごく生意気だったと感じました。

- どんな点でですか?
= 私がまるで何かを全部知っているように質問をしたんです。 そこで、今回の「後談話」をきっかけに再びお伺いし、丁寧にお詫び申し上げます。 中途半端に知ったかぶりをするよりは、率直な自分で対話に臨めば、より良いインタビューになりそうでした。 インタビューをしてみると、決まって投げかける質問を受ける人生の先輩たちの表情が妙でした。 「そう、そんなことが気になるだろう。 そんな質問も投げかけなきゃ」と言って、私を見透かす表情というか。 もっと謙虚になりました。

- 聞きたいことと聞きたいことの間の隙間を調整するのが簡単ではありません。
= 俳優としてもそうです。 やりたい作品と今必要な作品が明確に分かれます。 本にはすべて載せられなかったが、知らなければ勇敢だと、どうせ私が専門記者でもないので、本当に気になることを聞いてみました。 みんなゲラゲラ笑いながら 正直答えてくれました。 ある程度の位置もある方々で、各自の職業倫理もあるので、本当に率直な答えはしてくれないと思ったのですが、素敵な答えをたくさん伝えてくれました。

- 正直、たまにはインタビューが記事に書く素敵な返事一つは聞かせてほしいが、人がどうやって毎回素敵な言葉と考えだけで生きていけるのかという気もします。
= 「『ヤマ』が出た!」という瞬間ですか~。(笑い)インタビューを整理してみると、インタビューのワーディングを正確に書いても、私が思う意味とインタビューのニュアンスが違うのではないかという心配がありました。 それでインタビューが彼らに出版前にいちいち確認の時間を経ました。 皆が素敵な名言を望むのは、今の世相と関連があると思います。 SNSだけでも私が今どれほど幸せな人なのか、素敵な瞬間を生きているのかを明らかにしなければならず、現在の私の価値を評価され尊重される基準が他人から来るメディアじゃないですか。

- 「キャラクターAにどうやって近づきましたか?「のような質問はいかがですか? 「私の考えではAはどんなキャラクターに見えますが、この点を念頭に置いて接近しましたか?"のようにインタビュアーの悩みが一度入っても、はるかに豊かな会話ができると信じています。
= むしろ「ギャラをどれくらいもらいましたか?」という質問を受けると本当に斬新だと思いますが!(一同爆笑)もちろんお互いに守らなければならない道義があるのでしませんが。 確かに私の演技に関して分析してきた方々に答えを出す時は、楽しくてあれこれ話をするようになります。 たまに形式的に聞いてみるような質問には、むしろ私がしたかった話を答える時があります。 そうすると、私の答えから派生した新しい質問を再び受けることになります。

- 俳優の演技を分析して演技に関する質問をすることが恥ずかしく感じられる時もあります。 さっきキム·ナムギルさんも言及したように、中途半端に知ったかぶりをしているように見えるんじゃないかと思って。 演技の経験がないのに、ただすべてを見抜いたふりをして質問をするのが正しいのかとも思います。
= ところが、私は映画業界に従事する映画人なら誰でも作品や演技に関して評価する権限ないしは義務があると思います。 私たち同種業界じゃないですか? もちろん俳優の立場でカッとなるような質問をする方もいらっしゃいます。 前後の事情を知らずに、即座の結果による質問を受ける時もあります。 作品一つを作る過程が簡単ではないでしょう。 大きく見れば、文化部の記者であれ俳優であれ、皆同じ業界で働く人だから、たまには映画関係者の職業的な大変さを分かってほしいというのが正直な気持ちです。 「だから大変だったんですって?」という質問を受けると「荒らしを作りたいのか?」という気もしますが、じっくり考えると映画を作る人たちの苦労を知っているので、渡せる質問だという気もします。

- 今ではあまり使わない職業名ですが、「何かは残そう」と「陰口」のために田舎を訪れると、近所のお年寄りがキム·ナムギルさんのことを「タレント」と呼んでいませんでしたか? ちょうどキム·ナムギルさんはMBCの公開採用タレント、最後の騎手(31期)でもあります。
= そうです。 おそらく年配の方は、AAA1さんやAAA2さんが行っても同じように"タレントだ!"と言っていたと思います。 私が呼ばれたい呼称も重要ですが、他人が考える私の呼称も重要だということをこの機会に学ぶことになりました。 今は「タンタラ」が芸術家にとって肯定的な意味で使われますが、一時は芸能人を下大するという秘称でした。 しばらくの間、ある人は映画を習い、ある人はタレントだと言ってクラスを分ける文化がありましたが、不思議でした。 俳優のチョン·ドヨンが久しぶりにドラマを撮る時、私が「姉さん、久しぶりにドラマを撮るのは大丈夫ですか?」と聞いたことがあります。 でも姉さんが"私は元々タレントだよ"って答えたんですよ。 もちろんチョン·ドヨンがやるからもっとかっこよく感じられるけど(笑)、かっこいい答えだと思います。

 

 

 

 

  [インタビュー] 演技は演技で、私は私です。 「CUP Vol 2:俳優キム·ナムギルの対話集の後:)談話」

 

 

- 外見はさておき、俳優にとって顔は感情を表現する主要な道具という点で重要な資産です。 俳優キム·ナムギルが最も多く聞く捜査は「善悪が共存する顔」です。 --本人の顔に関するある人たちの評価はどう思いますか。
= 善悪が共存する顔という評価、絶賛だと思います。 「デビュー当初は、自分の顔にインパクトがないと思っていました。 善導悪も共存するというのは、結局白紙のような顔かもしれないじゃないですか。 私という俳優の存在を一日も早く知らせなければならないのに、私の顔には明確な特徴がないようで悩みました。 今は当然長所だと思います。 まず飽きることなく、善良な顔で悪役を演じたり、悪い顔で善役を演じる反転も与えることができます。 そして、悪と善の典型性も顔に適度に含まれています。 俳優は生きてきた痕跡と考えが顔に少しずつにじみ出る職業です。 それで私の感情にもっと率直になろうとして、日常で直接的に表現できない感情は観察を通じて研究します。幼い時は私の顔がどのように見えるかを悩んだとすれば、今はどうせ考えと心が顔に反映されるならば私の内部をどのように運営していくかを悩みます。

- 興宣大院君として特別出演した『花、香る歌』(2015)を見ると、シン·ジェヒョ(リュ·スンリョン)とマッコリを大作する場面が出てきます。 この場面について「飲酒シーンではお酒を飲まない。 その時、お酒を飲んだ瞬間、それは『演技』ではなくなる」と話したことが記憶に残っています。 基本的に演技は仮装(假將)する行為で、配役と俳優の間の間隔を分離したまま接近するのが正しいと信じているようです。 自ら「私は俳優が天職」と宣言できる理由も演技と現実の離隔を明確に区分する俳優観から出てくるのでしょうか。
= 何でも私を投影してこそ演技が上手になると思っていた時期もありました。 よく「メソッド演技」というアプローチです。 ところで、私はメソッド演技が何なのかも分からないし、もしかしたらメソッド演技に失敗した俳優です。 いつも真正性を重視しますが、根本的に演技は演技で、私は私です。 しかし、俳優は仕方なく自分の人生のすべてを演技に費やします。 悲しいことがあった時、トイレの鏡で私の顔を見ると「これが本当の悲しみだね。 こんな目で悲しみを表現しなければならないんだな」と自然に思います。 ところが、この話を仲間と共有すると、みんな粛然としてしまいます。 俳優ならみんな私と同じ経験があるんです。

- 2022年に放送された『悪の心を読む者たち』は、確かに以前には見られなかったキム·ナムギルの演技が目に入る作品でした。 作品をもう一度見ると、太いウェーブパーマをかけたソン·ハヨン警部補のヘアスタイルが目に入りました。 よく警察と言えば考える髪型ではないという点で新鮮で、何よりハヨンのモチーフと言われているクォン·イルヨンプロファイラーのスタイルとはあまりにも違って新鮮でした。 (笑)
= ハヨンの頭は2つの理由から生まれました。 まず、たいていの刑事は頭を気にしないように短く切るそうです。 しかし、この話を聞くと、むしろ2002年のワールドカップ当時、アン·ジョンファン選手が髪を気にしないためにパーマをかけたというエピソードが思い出されます。 また、私がアメリカの<CBS>ドラマの中で<メンタリスト>が好きでしたが、主人公のプロファイラーパトリック(サイモン·ベイカー)がくせ毛でした。 初めてパーマをかけると言った時は、周りでは「どうかしてる!」と言っていましたが(笑)、いざパーマをかけると、普段はまろやかに見えてもプロファイリングをする時は対比効果ができて、ハヨンならではの鋭さが際立っていました。

- キム·ナムギルさんの演技キャリアは演劇の舞台からスタートしました。 舞台芸術への憧れとして演技を始めたというエピソードも有名です。 もう一度演劇の舞台に立ちたいとは思いません。
= すごくやりたいです。 適正な時に良い作品で舞台復帰をしようという気持ちはいつも持っています。 もう一度演劇をするなら、現代劇よりは古典劇をやってみたいです。 演劇俳優として立つ時と変わった今の演技トーンで古典の台詞を消化すれば、どれほど新しいか一人で期待もしますし。

- 今すぐはキムナムギルさんが演じる「マクベス」が気になりますね。
= 実はマクベスを準備したことがあります。 『バードマン』のように『マクベス』公演直前の楽屋の風景から出発し、『マクベス』公演全体をロングテイクで撮る映画でした。 いろんな事情で霧散して残念でした。

- 先日、KT&Gの想像広場シネマでキム·ナムギル専用館が開かれました。 「もし、映画祭でキム・ナムギル特別展を開くので、そこで上映する3作品を選んでほしいという要請があれば、どのようにキュレーティングしますか。
= <無頼漢  渇いた罪>(2014)、<後悔なんてしない>(2006)そして最後の席に何を入れるかずっと葛藤が生じますが、今は<奇妙な家族>(2018)がですね。 『ストレンジャー·シングス』は、主に海外映画で登場したオカルト素材を韓国の家族ドラマとして描いた作品なので、記憶に残っていますが、興行がうまくできなくて残念です。 「後悔なんてしない」は私の映画デビュー作で、2006年当時、クィア素材を持って作品をするというのが容易ではなかったので、意味が格別です。 1億ウォンで苦労して作った映画でもあります。 「無頼漢  渇いた罪」は私が大好きです。 不思議なことに<無頼漢  渇いた罪>は封切り当時には「昔の映画のようだ」という評価を受けたが、今改めて見ればカット転換速度や撮影がまた同時代的です。

- 日記をつけることも含めて文章を書くのが好きで、国語国文学科に進学したかったと。
= 書くのが本当に好きです。 幼い頃は本当にたくさん書いて、しばらく日記を書けなかったが、また日記を書こうと最近決心しました。

- もしかして、キャラクターを研究する時や時間が経った後、演技経験を復記する時も文を書きながら整理するユの俳優ですか。
= はい。そうでなくても、この間書斎を整理していて昔の台本を読むようになったのですが、過度に書き留めていました。 (笑)一時期は3段階にわたって文を書いたこともあります。 初めてキャラクタービルに入る時は、この作品を眺める私の初期観点を書いておき、撮影の途中には私が初めて立てた計画から動揺しないために配役に関する文を書きました。 そして、作品が終わるとキャラクターを見送る意味で文を書きました。

 

- 今、『熱血司祭2』を準備中ですね。 『熱血司祭』の演出Bチームと『悪の心を読む者たち』のメイン演出であるパク·ボラム監督がメガホンを取るというニュースも聞きました。 公開可能な線で「熱血司祭2」がどの段階まで来たのか聞かせてくれるとしたら。
= 「パク・ボラム監督と2作品をやってみると、コミュニケーションがうまくいく演出家という印象を受け、もう一度一緒にやりたかったです。 「熱血司祭」に出演した他の俳優たちも、「熱血司祭2」にパク·ボラム監督が合流すれば、再びこの作品を撮りたいという意思を示しました。 『熱血司祭2』への期待は長い間寄せられていました。 もっと早くシーズン2が出ていればよかったのですが、もう5年が経ちましたね。 たくさん期待してくださるので、 その期待を満たしたいです。 願わくは愉快な作品であってほしいです。

 

 

ラブラブラブラブラブラブ

今日はギルのインタビュ-がニュ-スになっていました。

「CINE21 No.1443」からですね。

ギルの今の心情が分かる嬉しいインタビュ-です。

インタビュ-を読んでいると

ギルのいろんなことを

たとえば、過去のインタビュ-も思い出しました。

それは私の心の宝石になっています。

インタビュ-を読んでいると

ギルは憧れるステキな人で、

ステキな俳優さんですね💘

「CINE21 No.1443」注文してあるので

届くのが楽しみです(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本上映中

  映画「ザ・ガーディアン/守護者」

 

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