対極した感情。
簡単にいえば、好き嫌いという感情。

これに挟まれると人間はどうなるのか?
普通は人間だから好き、嫌いという風にすんなりとどちらが良いか決めることができよう。

例えば、人間が好きな母親がいたとする。逆に人間が嫌いな父親がいたとする。で、当事はそんな事は気にしていないとする。

従順な子供はその間でどうやっていきたらいいのだろうか?
まるで、可笑しな話しである。そこには賞賛がない。感謝がない。微笑みがない。

あるのは限りなく広がる無だけだ。

無が支配する洞窟があって、にっちもさっちもいかなくなった子供はそこに身を隠すようになるのだ。
怒りと不安と混乱があとからやってくる。
逆のパーソナリティーをもったものは、強く惹かれる。それは、好奇心からだろう。
でも、考えれば分かることなのだ。
絶対に上手くいくことなどないのだ。

ここでは、子供は親の感情の入れ物になっているに過ぎない。
それを打開する方法は狂ってしまうことか遮断する方法か閉じ籠る方法しかないだろう。

そして、限りなく広がる無から抜け出すにはきずくことが必要になってくる。

自分という存在にきずくことだ。そして、状況を把握することだ。

それが、第一歩だろう。あとは、自分の足でこの無から抜け出す術を考えなければいけない。

好きか嫌いか判断を下す。そして、信念をもって貫き通す覚悟が必要だ。

何を言われても怯むことをしない勇気も必要だ。

そして、一番大事なことは戦うということだ。自分に負けないように押し潰されないように戦い抜くんだ。

そうすれば、両方の目には光が宿るだろう。

救われなかった人のためにこのブログが役立つことを信じて。
読んでくれてありがとう。
今日も良い日になりますように!