♪赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木陰に はずむ声
ああ 高校三年生
ぼくら 離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも
ニレ ってなんだ?
なんで高校3年で離ればなれになるんだ?
暮らす仲間 ってなんだ?
ま そのへんはおいといて(w)
御三家 といえば
尾張 紀州 水戸
それは江戸時代の話
野口五郎 西城秀樹 郷ひろみ
それは昭和40年代の 新御三家
昭和30年代の御三家といえば
橋幸夫 西郷輝彦 舟木一夫
なわけですよ
1963年 といえば
東京オリンピックの1年前
まだ全国の道路は
舗装されてない所が多く
街は埃っぽく
便所は汲み取り式
車も家電もそれほど普及してない
TVはあっても白黒で
1台のTVを家族全員で見てた
そんな時代です。
1960年代には
まだ大学進学率もそんなに高くないから
高校を卒業する ということは
社会に出る
ということを意味していたのかもしれません
この曲が出た1963年には
まだ東海道新幹線も名神高速道路もありません
広島から西ではまだSLが走っていたし
全国の国道の大部分は未舗装でデコボコ道でした
TV 冷蔵庫 扇風機 などの家電品が
ようやく普及してきたころで
学校の校舎もまだ木造のところが多かったと思います。
そんな時代ですから
鉄筋の建造物に対するあこがれが強く
鉄コン筋クリート という
意味不明な言葉が叫ばれていました。
水洗便所も都市部でようやく普及しはじめた頃で
衛生状態も悪く感染症も多い時代でした。