石原さとみさん主演、2018年の舞台
ちょいミュージカル風な演出もありだけど、基本的にはストレートプレイ
”博士の愛した数式”を書かれた、芥川賞作家の小川洋子さんの小説が原作で、記憶にまつわるお話し
※以下、内容に触れています
いろいろな物が次々に消滅し、それに関する記憶もまた消滅していく島があって
そこに住む石原さとみさん演じる小説家である”わたし”
と
記憶が消滅しないレコーダー体質で、"わたし"の編集担当をしている鈴木浩介さん演じる”R氏”
と
”わたし”をお嬢様と呼び、身の回りの世話をしている村上虹郎さん演じる見た目はめっちゃ若い”おじいさん”
そして
山内圭哉さん演じる、消滅したはずの物とその記憶が残っていないか、厳しく取り締まる”秘密警察のボスかつR氏の兄”
この4人がメインとなって、お話しは進んで行くのだけど…
うーん悩ましい
まずね、山内圭哉さん演じる秘密警察のボス
なんでバリバリの関西弁なんだろ
もう自虐的に、仲間からも「なんで関西弁なんですか?」って言うセリフがある位、関西弁が悪目立ちしちゃってる
だって、スタイリッシュな赤と黒のマントに身を包んでピーって警笛鳴らしながら、記憶狩りをする秘密警察ですよ
不気味さ満点で人々を震え上がらせる秘密警察ですよ
それが喋り出した途端、コテコテの関西弁って
気持ちいい位歯切れの良い関西弁が、山内さんのウリなのは知ってますよ
ドラマでも、異質な存在感放って、大活躍されてますから
そのキャラを使って、ギャップを狙ったんだとしたら、なんか残念
だって、ふざけていいストーリーじゃないもん
やっぱり合わないよ
重いテーマだから、軽さを出したかったんじゃないかって言うレビューもお見かけしましたけど、なんか秘密警察の場面だけ、とってつけたコントみたいで、私は、あまりいい効果を生んでたようには思えなかったなぁ
あ、山内さんの演技がどうこうって言うんじゃないです
演出の問題です
軽さと笑いはね、"R氏"役の鈴木浩介さんが、さすがの演技力で、しっかり担当してくれましたから
"わたし"と"おじいさん"と"R氏"のクスクス笑いを誘う絶妙なかけ合いや、"わたし"と"R氏"のお互いの想いを通わせ合うシーンの空気感なんかはすごーく良かった
鈴木浩介さん、ブラボーです
石原さとみさんも、熱演でした
ただ、ただ、"わたし"を中心とする繊細なセリフ劇の部分と、コントまがいな秘密警察の部分が分離しちゃってる印象がもったいない
あと、ストーリーにおいて、いくつか疑問が…
まず、若いのに何故"おじいさん"と呼んでいるのか、台詞の中にも「どうして?」って"R氏"が尋ねているのに、結局、明かされないまま
なんか、スッキリしないの
あと、秘密警察って、消滅した物を見つけたら、取り上げて処分するってことは、それらの記憶が残ってるってことでしょ
だったらレコーダーですよね
なのに、なぜ、"わたし"と同様に、左足が消滅し、最終的には自分自身も消滅してしまうの?
同じレコーダーの"R氏"は、何も消滅しないのに
んでもって、消滅を見張ってる秘密警察が全て消滅してしまったら、この先の消滅はどうなるの?
もう、何も消滅しないの?
っていうか、消滅は、誰が司ってるの?秘密警察は、あくまでも、取り締まるだけなら、一体、その大元は誰?
その島特有の自然現象で、物が勝手に消えるわけではないよね
だって、小説が消滅するって言う日、島人自らが、小説を燃やしに集まってたもん
愛してるって言う感情そのものも、過去に消滅したって、言ってるけど、それは、どうやって処分したの?
あと、左足が消滅ってことは、勝手に消えるんじゃないとしたら、自ら切り落とさないと辻褄が合わないけど、いつの間にか見えなくなってるっていう描写だったよ
どういうこと
そして、さらには、ラストシーン
"わたし"は、少しずつ消滅によって、記憶を失っていき、自分が空洞になるって言ってて、最後は隠し部屋のベッドに横たわって、死ぬ?消滅する?展開なんだけど、その時、"R氏"が、隠し部屋の扉を開けると、ずっと昔に消滅したはずの薔薇の花びらが、わーって降り注いでくるの
でもね、隠し部屋って、そもそも建物の奥のさらに本棚の裏側にあるんだよ
外から花びら入ってくるわけないやん
ビジュアル的には、素敵だったけど、は?ってなっちゃったよ
人間は自分の中の記憶の積み重ねによって自分らしく存在しているから、その記憶が失われていくということは、自分の消滅に等しい…認知症という病とオーバーラップしますね
でも、"わたし"が消滅したとしても、"R氏"が覚えていてくれる限り、"わたし"は消滅していない
つまり、実体が消えても、人々の記憶の中に存在している限り、その物や人は、永遠に存在し続ける
って言う、のがこの作品のテーマなんだと思う
それは、よくわかった
ディズニー映画の『リメンバーミー』もそうだったよね
そして、ラストシーンの薔薇の復活は、忘れさえしなければ、また再生するって言う暗示なのかもしれない
でも、それなら、むしろ
皮肉にも、愛する”わたし”と共に秘密警察が消滅したことで、安心して外に出られた"R氏"が、ひっそりと咲く薔薇を見つけて、その姿に希望を重ね合わせ、1枚だけ花びらを…または風が吹いてわーっと散った花びらを手ですくって、無となって横たわっている"わたし"の元に、走って持ち帰る方が、じわーっと来て良かったんじゃないかって、思っちゃった
演技巧者の鈴木浩介さんなら、その辺りの一人芝居、完璧に演りこなしてくれるはず
外から隔離された部屋に、花びらが舞い込んでくるっていうありえない状況は、その花びらさえも記憶のいたずらによる幻想なのかって誤解し兼ねない…
…ん?幻想なのか?あの花びらは…
うーーーわからなーい
どなたか、ご覧になった方で、それは違うよ、あーだよ、こーだよって、私に教えてくださる方いらしたら、コメントお待ちしてます
あと、これは、あくまで舞台についての感想で、原作の小説は、たぶんまた少し違うのかもしれないので、時間のある時、読んでみたいと思います
少しは疑問、解決するかな…