「いのち」の話 | 学習塾愛夢舎 入間市教室のブログ

学習塾愛夢舎 入間市教室のブログ

2000年9月。入間市・武蔵藤沢に「学習塾愛夢舎」誕生。
たった8名の生徒数でスタートした小さな塾ですが、地域に愛され成長を続け、
2014年冬、豊岡に「入間市教室」をオープン。
入間市教室の日常を報告いたします。
お問い合わせ:04-2901-8220

重い、重いハナシになります。

書くか書かないか、どう考えるべきか、
1年間、悩んだ。

とりあえず、塾とは、あまり関係がありません。

「あまり」というのは、
それを言ってしまうと、
僕は、教室において、
教科教育をもっぱら施している
というつもりはあんまりなくて、
むしろ、ものごとの考え方とか
生き方のヒントとか、そういうのを、
若輩ながらも、自分の考えを話すことで
なにかヒントになればよいと思って過ごしているので、
その意味においては、「無関係」でもないのかと思い、
だから書くことにします。








ちょうど1年前、
僕の叔父が亡くなりました。


60歳をすこし過ぎたばかりだった叔父は
6人きょうだいの長男である父の末の弟で、
父とは10歳以上、歳が離れ、
言い方をかえれば、
父のきょうだいの中では、
僕にもっとも年齢も近く、
どういうわけか、僕が幼いころから
やけに可愛がってくれた人であった。

なんなら、僕が今書いている
ブログなんかも読んでくれており、
たまにメールをいただくと
「最近、あんまりおもしろいこと書いてないね、
 仕事、忙しいんじゃないの?ムリすんなよ」
とか、
表だって表現していないようなことまで読み取り、
「うっ!ズバリそのとおり・・・参りました」
と、こっちがなるような、

僕が八王子暮らしになったことで、
叔父さんとも「同じ市民」になって、
「休みが合ったら飲みにいこう」
と誘われ、
そうですね、ぜひ、とお答えし、
しかし、実現することなく終わってしまった。

南大沢のアウトレットに買い物にいったとき、
どうやら同じ場にいらしたらしく、
「やっぱりあのとき来てたんだ!
 駐車場に所沢ナンバーの、
 みたことあるような車があったから
 もしかして、と思ってたんだよ~~
 なんだ~、電話すればよかった!」
なんてニアミスもあって、
結局、うちのムスメを会わせる前に
いなくなってしまった。

親戚一同が集まる場では
「ほら、●●さんにお酌して!」
とか、まるで部下のように僕を動かし、

実際、某銀行の支店長まで
務めた叔父さんにとって
僕は、割と気心の知れた
部下のような存在だったのかもしれない、
家では
「まさのりくんはすごい、ブログを読んでみろ」
と、ご自身の息子(=僕のいとこ)に
しょっちゅう言っていたらしく、
ちょっと照れくさい。


その叔父さんが亡くなった。


当日の深夜、
父からのメールで知った。

叔父さんが急死したというメールをみて、
何かの間違いだろうと思った。
本心で、
父よ、落ち着け、そんなわけあるか、
と思った。

というのも、
叔父さんと最後にあったのは、そのひと月前。

実は、ひと月前に
別の叔母さんが、
これまた急病で亡くなっており、
その葬儀に僕も参列し、
叔父さんとはそこで久々に再会しておった。

もちろん、ぴんぴんしており、
病気がちでもなんでもなく、
まさにその場で
「今度は家族そろって食事でもしよう」
なんて話していたのだ。

もっと言えば、
僕自身は仕事で参加できなかったけど、
叔父さんが亡くなる
ほんの2~3日前、
その叔母さんの四十九日の法要があって
僕の両親は叔父さんと会っている、
そのときには
「いやぁ、オレもそろそろ
 ガン保険とかそういうの、考えた方がいいかなぁ」
とか、そんなことを話していたという。

要するに、叔父さんは、
健康そのものであった。

元銀行員という職業柄か、
晩酌は毎日のことだったようで、
それでカラダのことを気遣ってか、
なんなら週末はジムに通っていたというし、
職場でも、お昼休みのときには
オフィスビルの階段を昇り降りして
健康を気遣っていたという。

ちょうど、初孫が生まれたばかりだった
ということもあろう。

また、銀行は60歳で支店長を退き、
その後数年、相談役として働き、
亡くなる数ヶ月前だかに正式に退職、

第二の人生を始めるべく、
翌日は、新たな職場の候補のところへ
面接に向かう予定だったという。

画に描いたような、というと
実際のところはわからないのだけど、
それにしても、
順風満帆というか、
まさに「いい歳のとり方」をしていた。
病気で入院したようなこともない。


その叔父が急死したという。


間違いだとしか思わなかったし、
一瞬、意味がよくわからなかった。


通夜に出かけると、
そこは、ひと月前に
叔母さんの葬儀が行われた斎場であり、

なんなら、ひと月前、
その葬儀を切り盛りした叔父さんが
ほんのひと月後に、
なんと、自分自身の葬儀がそこで行われるとは、
しかもご丁寧に、
執り行っていただくご導師様まで同じ人、
これには、
お坊様もさすがに絶句されたことだろう。



叔父さんは、
駅のホームから転落したところを
電車に轢かれて
亡くなったのであった。


新宿にほど近い京王線の駅、
その金曜日も、職場の仲間と
打ち合わせを兼ねた飲み会だった。

家に帰るということで、
メンバー全員で駅のホームを歩いていたが、
ちょうどそのころ、同駅のホームは
改装工事でもって、フェンスがたてられ、
ホームの歩く部分が
極めてせまくなっていたという。
むろん、安全を守るホームドアはない。

おそらくは、そのせまいスペースを
反対から来る人と
おっとっととすれ違い、
そこにお酒の力もあって、
ふらついて転落してしまったところに
ちょうどタイミング悪く。。。

ということだと思う。

ショッキングな言い方になるけど、
そういう状況での亡くなり方だったので、
通夜に出かけたときには
もうすでに荼毘に付され、
お顔を眺めることもなく、
骨壷に手を合わせたのであった。


ご導師様のお経を聞きながら、
ずーっと考え続けた。


いったい、これは
どういうことなんだ?

この死には
どういう意味があるのだ?


だってね、
もしも、もしも、
その飲み会の席で
「じゃあ、そろそろ行きますか」
ってなって、
そのときメンバーの誰かひとりが
「あっ、じゃあ自分、トイレ行ってきます」
って言ってれば、
運命は変わっていたかもしれない、、
いや、たぶん変わっていた。

ものの10秒も
タイミングが違っていれば
すでに電車が通り過ぎているか
あるいは、ホーム下の避難スペースに逃げ込むかで、
おそらく叔父さんは
せいぜい軽い打撲で済んだはずなのだ。

もしくは、ホームを歩いているときに
後ろを歩くメンバーが
「鎌田さん、ちょっとよけましょう」
とか言ってれば、
それでも変わっていたかもしれない。

叔父さんは、そのとき
一人ではなかった。
だからこそ、まさにその話を聞いたときには
何人も一緒にいながら、
なぜ誰も叔父を救えなかったのか、とか
憤りとか怒りとか、悔しさとか、
そういう思いが爆発したけど、
ご自身たちの有志で
葬儀の手伝いをしているメンバーのみなさんの
沈痛なお顔をみると
そういう思いもどっかにいってしまった、
そりゃあ、親族の僕も悔しく悲しいけど、
一緒にホームを歩いたみなさんは
一生消えることのない悔恨の念、
自責の思いを、
これからの人生、
ずーっと背負い続けることになるのかと思うと
それはそれで、
あなた方のせいではない、ということを
心の中で投げかけ続けるほかなかった。

呑み屋から駅までの歩くペースが
ほんの少しだけ違っていただけで
運命は違っていただろうし、

呑み屋で
「もう1杯!」って
誰かが注文してたら、
それはそれで結果は違ったろうし、

ホームで前からやってくる人をみて
右によけるか左によけるか、
その一瞬の無意識の判断で
結果は違ったろうし、



しかして、叔父は亡くなった。

「もっと気をつけていれば」
という言葉すら当てはまらない、

少なくとも、日常において
叔父は、健康を気遣い、
トレーニングを行い、
長生きできるように常日頃から
「気をつけていた」のだから。


本当にイヤな言い方になるけど、
飲み会のお店の場所、
っていうか、飲み会をしようというその約束、
そこに集まったメンバーのメンツ、
誰かひとりの尿意、
飲み物や食べ物が提供されるタイミング、
つまりは、焼き鳥が焼きあがるまでの時間、
歩くテンポ、ペース、
そのとき駅にいた、ほかの大勢の歩きかた、
たまたま行っていた工事。。。


ぜーんぶの事象が
見事に、タイミングよく一致して

叔父の死につながった。


いったい、この死の意味は
なんなのだ?

なぜ、叔父が「死ぬ順番」になったのだ?





1年間、ずーっと悩み続けています。

もっとも、悩むといっても
いわゆる自分の心の悩みというのと違くて、
なんなら、禅問答に対しているという感じです。


悩んだ結果、
なにか「わかった」か、

というと、


もちろん、わかりません。



ただ、


「なぜこうなった」とか
「どうしたら避けられた」とか

そういうことを考えても仕方がない
という風には思っています。

葬儀のときに導師様もおっしゃっていました、
「死というのは、誰にも等しくやってきて、
 それがいつ来るかは、誰にもわからない」。

叔父については、
あまりに衝撃的だったし、
病気とか健康とかとは
なんだか無縁のところのような気がするので
「どうすれば」「なぜ」とか思ってしまうけど、
考えてみれば
ひと月前に亡くなった叔母にしたって
急な病気でスーパーで買い物をしているときに
亡くなったのだから、
実は、その突然さにはあまりかわりがないことになる、

それをいえば、
病気で倒れるにしたって、
それも「なんで自分が」とか
「どうすれば避けられた」
と考えるにきまっておって、
なんら変わりないということになる。

だからといって
「だから、
 いつ死んでもいいような心構えで生きなさい」
なんてのは
到底、僕にはムリだ。
いつ死んでもいいなんて、とんでもない。

僕は、死ぬのが怖くて怖くて仕方ない人間です。
実存主義者だからかもしれないけど、
自分がこの世界から無くなってしまう、
意識というものがなくなってしまう、
考えることができなくなってしまうことが
無性に怖い、
そんな僕が、
いつ死んでもいいとか、思えるはずがない。

僕の生徒だったヒトとか
ウチの先生たちは
なんとなくそう思ってると思うけど、
僕は、たぶん
フツーの人よりはお坊さま寄りの考え方をする、
残念ながら、特定の信仰はもっていないし
たぶん今後も持たないし(哲学科出身ww)
得度も行もなーんもしてないけど、
たぶんそれでも、お坊様の気持ちに近い、

以前、このブログで
↓こんなことを書いたことがある

「よく」ある



吉野の山で千日回峰行を満行された
阿闍梨、塩沼亮潤先生は
「一息一息を大切に、
 朝起きて、いいことをして、悪いことしない、
 そして感謝して生きることが目標」
とおっしゃる。

また、その千日回峰を二回も達成なさった
大阿闍梨である故・酒井雄哉先生は
自分が行者になったり、
晩年、ガンをわずらって、ご高齢に関わらず
大手術を成功なさったようないきさつについて
「縁というのはいろいろなところにあるけど、
 その縁を結ぶことができるかどうかは
 そのとき「動けたか」どうかだ。
 「やる」って決めて、すっと動くことは
 ご縁を結んでいるってことだ。
 いろいろな理由をつけて「やらない」と
 ご縁が通りすぎてしまう。
 自分は手術するかどうか気持ちをたずねられたけど、
 ここに来ているということは
 もう「やる」っていうことなんだから、
 迷うこともなかった」とおっしゃっている。


僕ひとりの考えを
ただ書いていると
胡散臭さばかり出てくるかもしれないから
おふたりの言葉を少し引用してみましたが、

僕が思っていることは
まさに
「一息一息を大切にしよう」ということだけです。

「なぜ死んだ」とか
「どうやったら避けられた」とか
考えたってしょうがない。

もちろん僕は、死にたくないから
健康に気をつかうようにもなるだろうし、
病院にもいくだろうけど、
それは、
どうやったら避けられるかと考えての行動だけど、
結局は
今を一生懸命生きよう
としているという結果なんだと思う。


妙な言い方かもしれないけど、
酒井阿闍莉様は、ご縁で手術が成功したし、
僕の叔父は、ご縁で電車にはねられた。
先ほど書いた、どの店、どんな注文、歩くペース、
そのときホームに、
全部、ご縁ですわな、これ。
でも、いいご縁とか悪いご縁とかもなく、
酒井先生は、結婚間もなく、
奥さんが自殺なさっているし、
うちの叔父は、銀行支店長になった。


こじつけのように聞こええるかもしれないけど、
この仕事をしていると
なおさらのように
「ご縁」とか「一息一息」とか
「日々一生懸命」とか
そういうのを実感します。
そもそもヒトと出会う仕事だから
縁のかたまりであるに違いないけど、

たとえば、3週間後にせまった県立高校受験、
そこで受かるか落ちるかっていうのは
イヤな言い方をすると
ホント「縁」だと思う。

昨日、受験生たちに話したんだけど、
だって、去年の結果をみるとわかるけど、
同じ得点なのに
合格する生徒と不合格になる生徒がいるんだもん、
じゃあ、内申点の差か?というと
それもよくわかんないし、
となると、部活動?委員会?欠席日数??
もっといえば、
記述式解答が大半の埼玉県立、
絶対的なマルやバツの基準は存在せず、
最後は採点する先生の気持ちがどう動くか、でしょ。

そんな、いろいろな「縁」での結果なんだから
「どうして」とか「なんで」とか言ったって
これはしょうがないんじゃないかな、

でも、生きているうちの僕らは
なんとか生き延びようと
今を一生懸命生きるわけで、

それが1点でも多く取ろうとする
受験生の姿と重なるのです。

わかりますよね。

一日でも長く生きようと努力した結果、
実際に一日長く生きられるかどうか
わかんないですよ。
僕の叔父は、突然死にました。

1点でも多く取ろうとする努力が
そういう結果につながるかどうかも
わからんですよ。


でも、その1日、その努力が
価値とか財産とか、
人生ってことなんじゃないかな。

一息一息という言葉、
「ご縁」という言葉でいえば、

たとえば、僕が昨日の授業で口にした「一言」、
それをたまたま覚えていた生徒が
実際の入試で
1問多く答えられる結果になるかもしれない、
僕は、昨日教室で
「この漢字が出たらどうすんだ?」と
壁に貼ってある貼り紙の「実践」という漢字を指し、
「ディフィカルトの【f】が1つか2つかで
 結果が変わってしまうかもしれない」と言って、
もし、ホントにそれが出題されたら・・・

そんなことを考え、
そして、「生徒」というのは
「教師」の言葉を信じるものであるから
なおさら
僕が発する「一言」は怖さすら覚えることもある、
「これは出題されないと思う」とか言って、
もし出たらどうしよう、とか。

でもね、
「僕が言った一言が、彼らの運命を変える」
とは思いません、
いや、思っちゃいそうになるけど、
いやいや、そんな風に思ってはいけない、
と自戒します。

僕は仏さまじゃないので。

僕もまた、
ひとりの人間として生きてるだけで、
自分ができる限りの一生懸命の一息をつぎ、
できる限りの一言を彼らに投げかけるだけです。
それは、僕自身の人生のためであります。

先のために一生懸命、
もうもどってこない一瞬のために
今の一息をつく、
それは、翻って、
今を一生懸命大切にするってことで、
僕らが最大限できることは
それだけかな、と
今は思っています。


このハナシを書こうかどうか
1年間悩みました。

結局、書くことにしたのは
叔父さん、僕のブログを好きでいてくれたから、
そして、僕はこの件で
それはそれで考えるきっかけ、
学ぶヒントにもなったので
まあ、書いたらむしろ
喜んでくれるんじゃないかな、と思ってね。

考えた1年を過ごした結果、
割と、一生懸命な1年だったと思います。

kama


当たり前ですが、
愛夢舎は宗教ではありませんし、
かまたも宗教家ではありませんからねww


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