ここの2週間でコミュニケーション関係の研修を受ける機会が2度ほどあり、3日間研修に参加しています。

コミュニケーションの基本の基本は相手ではなく自分であることがわかりました。それは説明されたのではなく実生活で実感しました。

同じ目的のものではないのですが、基本は自分である事には変わりがないと思います。

お昼を一緒に食べている会社の先輩。仕事も絡むことがあり、好き嫌いが激しい人で好きな人と嫌いな人では仕事の仕方が変わる人です。それと自分はめんどくさいことはしたくなく、要領良く職場の人からはいい人と思われたい人って言葉にすると嫌な人みたいだけど、みんな心の何処かにこんな自分はいると思います。彼女は他の人よりそう言う事に素直なだけだと思います。

私から見るとそんな言い方もできますが、でも私のことも気にかけてくれたりすることもあり、私的に彼女の二面性に振り回され、付き合うのが本当にめんどくさかったのです。

彼女のご機嫌に付き合いながら過ごすお昼休みより、食後は目をつぶって神経を休ませて過ごしたい。もう半年くらい前からずっと思っていました。

バセドウ病なのです。こんなくだらないストレスとこそ早々に手を切るべきではないのでしょうかと。わかっているのなんで何もしないで過ごしてしまっているのでしょう?最初に受けた研修の後に強くそう感じました。

仕事のストレスの半分を彼女からもらってるのです。離れる方がいいのもよくわかってるのに。

彼女に思い切ってバセドウ病を盾に、最近疲れがなかなか取れなくて、昼休みはゆっくり休みたいのでお昼は1人で食べようと思います。勝手言ってすみませんと伝えました。

そしたら、体調辛いの?大丈夫?と気にしていただきました。

それまでは彼女から教えてもらうことの多い私と彼女の力関係は常に

彼女>私

だったのです。
それはこれからもずっと続くと思っていました。

それがお昼を別で食べますと伝えた直後から驚いた事に、突然ほぼ対等になりました。
今までは後処理を彼女がする場合は、事前に説明をしてきたのですが、ほぼ聞き流されてしまい、それでうまくいかないと当然の流れでああいう説明ではわからないと言われたりだったのですが、お昼を1人で食べると言った以外何も変えていないのに、同じ話をしてもちゃんと聞いているのか、話が通じるという不思議な状況になりました。
もしかして彼女との付き合いにくさの原因の一端は自分の中にもあったのではないかと思い至りました。

自分がどうしたいのかが大切だったのです。自分がどうしたいのかはっきりあるのに、それを無視して彼女に気に入られなくてはと思っていたので、悪い言い方をすれば、彼女から見て私は何をしても文句を言わない、自分のない都合のいい奴だったのではないでしょか?当たっているかはわかりませんが、そんな存在として扱われていた気がします。

そしてそんな事のあった後にまた別のコミュニケーション研修を受ける事になったのですが、プラスで大切なのは、事実であると言う事に気がつかせてもらいました。気兼ねやら相手の感情への過剰な配慮は逆に状況をややこしくさせたり、コミュニケーションの上で、伝えたい思いが見えにくくなってしまったりする場合があるように思いました。

自分の考えや気持ちとそれを取り巻く状況の事実は自分の立場として重要なものですが、何かお互いの違いを調整したりする時には、相手の立場を大切にする事も等しく重要と言う事も当然のこととして意識しました。

言葉にすれば当たり前な事なのですが、状況に飲まれて見えなくなっていた気がします。

そしてこのような迷路に入り込み人間関係を難しくしてしまった私はの中にある問題点はなんなのだろうと言う事も気になり考えていました。

はっきりとはわかりませんが、私は他人から受け入れられない事を実はとても恐れていたのではないかと思いました。

すでにあまり良好ではない人との関係に自分のしたい方向で変化を生む事で、さらに関係が悪くなるのではないか?これ以上嫌われるかもしれない可能性を恐れていたのではないかと思います。だから自分の気持ちを言葉にできないでいたんじゃないかと思います。

裏返せば、私は受け入れられたい欲求が他の人より強いのかもしれないです。だから受け入れられないくらいなら黙っていようと言う後ろ向きな行動を取っていたのかもしれません。

今回受けたコミュニケーション研修は2つとも、相手と自分の考えが違っても、お互い納得できる落とし所はあると言うことも共通してました。どちらも軽い気持ちで受けた研修でしたが私にはとても意味のあるものだったと思います。