光TVで映画「ビリギャル」を見ました。

なんかね、思っていたよりとてもよかったですよ。ハートフルでした。

家族の問題とかも描かれていて、その中で精神的にも成長しながらの受験、本当に頑張ったんだねと素直に思える内容でした。

大逆転劇ですが、その快挙よりも全力で頑張った事とか、彼女の素直さ、まっすぐさが印象に残ります。

この映画、今でしょう!の林先生はお嫌いみたいです。特殊な入試方式なので、そんなには難しい事を成し遂げたわけではないと言う事らしいです。
塾の先生の著書、同業者としての厳しいご意見なのかもですが、どうでしょう。

また、そこそこできる学校の底辺なんだから、そんなにできない子ではないと言う巷のご意見もあります。

どちらの意見にもわたしはあまり賛成はできないです。

やる気のない子、大人への信頼を失っていた子が信頼を取り戻し、勉強なんてやる気ゼロだった子が成し遂げたことなのです。
塾のテクニックとして考えたら大したチャレンジではないと思うのでしょうが、人生を取り戻させた功績は大きく、その中に慶應大学があったとわたしは理解しております。この映画がただ慶應大学に受かった話しでは多くの人の心は惹きつけないのではないかなあと思います。難しい年頃の子供を抱えた家庭、期待されすぎた長男の栄光と挫折、ビリギャルの父との確執、家族、姉と弟のぶつかり合い、夫婦のすれ違いなどがあって、彼女の心の成長と家族の再生が描かれています。ただの受験話しではないのです。タイトルがいかにもなので、林先生のような反応があるのは仕方ないのかとは思いますが。

上位校に身を置いたことのない人にはわからないのです。上位校で落ちこぼれるということがどういうことか。
上位校で落ちこぼれても下位校の生徒よりは出来ると思うのだと思うのかもしれませんが、それはちょっと違います。上位校で落ちこぼれると這い上がるのはとても厳しいですし、元々出来た子がほぼ初めて経験する挫折です。一度出来ない状況に陥ってしまったら、自分はどんどん落ちていき、周りはどんどん上がって行くのをヒシヒシと感じ取り、自分の立ち位置を否応無く認識します。
勉強なんて全くやらなくなります。少々の努力に意味があるとは思えないのです。悪循環で本当に勉強がわからなくなります。
ビリギャルの担任の先生の態度からもわかるように、ひとつの集団の中で出来ないやつ認定され、見下されてしまえば、それは上位校も下位校も関係ないのです。出来ないやつという意味では学校の難易度は関係ないのです。

この映画、お母様がパートを増やして頑張ったりと言うことになっていますが、そこはどうやらフィクションみたいです。最終的にほぼ毎日塾に通うようになり、はっきり言っていったいいくらかけていたのか、それを負担できる経済力があってのお話しなんですよね。
それを出してしまうと共感は得難いので、その辺りは演出されているようですが、映画そのものは悪くない出来だったのではないか、頑張る人の背中を押してくれる、元気をくれる内容だったのではないかなあと感じています。