リハビリ、通院、療育
平日は毎日予定が詰まってた
療育も朝の会から始まる
作業(工作)の日があれば、音楽の日も
運動の日もあった
今でも鮮明に記憶に残ってる新聞📰
新聞紙を沢山用意してビリビリにやぶる
🗞️丸めたさきを途中まで切り込み入れて🧹みたいにしたりくしゃくしゃにした後🎀の形にして頭に乗せたり
自宅では絶対やらない事
皆んな夢中になってビリビリにしてた
胸はズリバイで肘をついてる状態で細かくやぶる
山のようになった細かい新聞紙
それを娘に抱えさせ先生が高く抱っこしてくれ
娘がぶわぁ〜と撒き散らす
お友達の上にかけたり、かけられたり
あの時の娘の笑顔忘れられない
楽しくてたまんなかったね
遊んだ後はお片付け
🧹にした新聞紙🗞️を使って集め娘の周りがみるみる綺麗になる(払い除けてるから周りには新聞の山)
皆んなで大きな袋に入れてお片付け
自由にのびのびとやらせてくれる先生方、
全力で子供達と遊んでくれる先生
療育いって良かったなぁとつくづく思いました
5月入ってから教育委員会との話し合いが始まりました
まだ幼稚園、保育園も行ってないのに小学校の話
翌月には学校の下見をしたり、もちろん保育園にも話し合いの場を作ってもらい現状を伝えたりする機会ももらいました
小学校は🏠から近い場所に住んでいて、保育園はすぐそこ
その立地も考えて決めた🏠
行く予定の小学校、老朽化が進みバリヤフリーなんてものは一切ない上どちらかと言うと住んでる地域の中でもマンモス🦣校
子供達の人数が多い学校で目が行き届かないだろうと向こうから却下され、私の母校の小学校にも行く事になり行くと支援級の子達の人数が多く(娘の場合は、肢体不自由級となる)新しく作るにも教室が確保出来ないと見に行った早々に校長からお断りが…。
公立学校でも受け入れは難しいんだなぁと実感した
まだ3歳、まだまだ先。
とは言えきっとあっという間に来るんだろうなぁとら思いながらもひとつづつ階段のぼらないとなぁと思った
保育園の園長先生は涙ながら話を聞いてくれ皆んなと同じには行かないだろうけど一時保育からやってみようと言ってくれた(療育行きながらなので週1とかからならそうと)
皆んな初めての試みだから手探りだけど預かりますと言ってもらえた
年少さん以下の預かり保育、当時の園長先生には感謝しかない😭
歩いて行ける距離
本当に嬉しかった