生き方の常識が、大きく変わってきている昨今。

 

ある一つのことに秀でることが素晴らしいとか、

 

逆に、色々なことができることが素晴らしとか、

 

もうそこにはあまり意味や価値がないときに来ている。

 

そのこと自体にもう意味はなく、はっきり言ってどちらでも良い。(と少なくとも私はそう思っている。)

 


例えば、毎日のようにアメリカのニュース番組に出て来くるStormy Daniel(トランプ大統領を訴えているポルノ女優)の弁護士 Michael Avenattiは、敏腕弁護士でありながらも・プロカーレーサーであり、また日本でもおなじみのコーヒーショップTully'sの経営者でもある。

現在ニューヨークを訪れている吉本芸人・絵本作家の西野亮廣はビジネス本の著者でもあるし、それ以外の活動も意欲的に行われている。

2つ以上の肩書きを持っている人間の方が多い世の中になって来ているのは、確かだ。


私は、そもそも人の才能は、一つだけではないと信じている。


しかし、一つのことにエネルギーを集中したほうが大きな力が発揮できる人・複数の閃き源から沸き起こる情熱に任せてエネルギー分散をすることで大きな力が発揮できる人、それぞれタイプがあるため、自分がどちらのタイプの人間かを見定めることは大事かもしれない。



要は、「自然体で自分が好きなことを”遊ぶようにやっている”ことが結果多くの人を喜ばせ・助けており、その代償としてお金が対価として支払われている」という形が仕事になっているのであれば、仕事がいくつあっても・あるいは一つだけでも、良い、、、ということだ。

「不自然に、無理をして、好きでもないことを、

”ただ義務感から”
”ただ惰性で”
”自己顕示欲を満たすため”
”親を安心させるため”
”自己価値を見出すため”
(云々かんぬん)

、、、、など、本来の自分の姿から大きく外れた場所で「一生懸命頑張っている」と、

酷い場合、実際病気になったりする。身体的のみならず、精神的なもの含めて。


一つだろうが・複数だろうが関係なく、
まず己の才能に気づき・それを磨き・使うことで、
自分の魅力がキラキラ光り・また他者とその光をシェアして行くことで更に光に輝きが増し、
それが波のように広がっていき、また自分にその光がいずれ巡ってくる(、を繰り替えす)、、、、
そしてその循環がお金という形でいつの間にか戻ってくる。
このような働き方が、
いわゆる今の時代の流れのように感じる。



才能・更に技術・知恵というのはただ持っているだけでは意味がなく、磨き・使わねば光も発しないので、広がることもなければ・自分にも幸せという形では戻ってもこない。

ほとんどの人は必要なものはもう既に持っているので(インプットにかなりの時間をかけている)、あえて頑張って新たに足したり勉強しなくても、いま持っているものをどんどん使って行くこと(アウトプット)に集中すれば、否が応でも次のステージに行けるだろう。