アナログ | 象の夢を見たことはない

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「何百年もクラッシック音楽の中では太鼓というものをリズムをキープするために使ってなかったわけですよ。ティンパニーというのはあれはリズムじゃないですからね。」

「ドラムというものがリズム楽器として使われ始めたのは、ニューオーリンズのジャズの時代からじゃないかと思って。」とスコラでピーター・バラカン氏が語っていた。西洋音楽の発展という視点で音楽を語るという視座。西洋人の独善さというか、キリスト教的世界観とか、あるいは西洋中心的な学問の考え方というのは昔からあって、学問がいかにもギリシャ起源で考えられているのもそうなのだが、イスラム的な視点だったり、さまざまな文化に視野を広げた場合、それらの考え方がいかに自己中心的かにうんざりさせられることがある。これは、海外でイギリス人とかアメリカ人(とはいわないな、なぜ?)とかと話していると気づかされるのだけれど、んーこいつら結構バカなのかもと西洋人崇拝的な無意識を揺るがされるわけだけど。たとえば、ガムランなんてゴン系の楽器は8-9世紀頃作られたといわれているわけだし、アフリカなんかの土着のリズム系だったらもっと歴史は深いだろうと思うのだが、自分の知っている範囲だけで独断的にものを判断しているのが、あるいは知らない世界の話はないものとして扱う的なあれはどうにかならんものかねとたまに思ってしまう。

まあいいや、自分もそうなのだから。というか、いまだに知らないことが多いなと昔のブログをみて気付く。

 

 

ザ・ゴー!チームというのも、実はこのころはじめてしったのだけど、貼り付けたyoutubeが消えていて、まあそういうのはよくあるのだけど、もう一回みたくて探したらあった。まあ、リンクだけ。

 

 

そのゴーチームなのだが、まだ活動していて、なんとアルバムをこないだリリースしたのだとか。不勉強なことこの上ないな、自分。

 

 

このアナログ感。世界がまだインターネットでつながれていなくて、そこにしかないものはそこへ行くしかなかったころの世界へのトリップ感というか、なんかまだあったんだというありがたさに包まれた瞬間だった。リンク先にあるのだけど、備忘のため貼り付けておこう。

 

 

いい時代にはなったんだけど、失われたものも多いですね。無知というのは、希望とか冒険心とか想いとかとかなり重なっていたのだなとあらためて。