ニセモノが本物に | 象の夢を見たことはない

ニセモノが本物に

鎌倉殿のニセモノの髑髏が本物の証となる件,

どうやら三谷幸喜氏のニセモノが演じているうちにやがて本物になってしまうという生涯テーマの一つらしい。

演劇の世界では、人がこんなふうに変わっていくのはよくあることなのだろう。思い込みが価値を作っていく。

それは、本人だけのことではなく、多分に観客に当てはまることで、ある閾値を超えると信用というのは爆発的に伸びる。

テスラの株価とか仮想通貨とかもその例にもれずなのだが、ニセモノが本物になったときに換金してしまうことができるのが、モノのもつ特徴で、人はずっとそのままなので化けの皮がはがれたらそこで終わり。逃げどきがないので、ずっと逃げ続けるしかないからこその浅田彰の逃走論というライフハックとなるんだろう。

とはいえ、逃げる資金として、信用の換金をどこかでする必要があるわけで、換金したあと、それがただの葉っぱだとわかれば、やはり叩かれる。いまどきの逃走論では、業績が落ちないままで他者に託せてしまえば、その人の信用も落ちないから、生きながらえられるという策も書き添えておく必要があろう。