エクスタシーのホームレスについて | 象の夢を見たことはない

エクスタシーのホームレスについて

村上龍の『エクスタシー』

そのホームレス、ヤマモトという名前で書かれているのだが、途中でヤザキという名にかわる。
ヤマモトは偽名だったということになるのだが、ヤマモトはサカモトであり、ヤザキというのは村上龍にとってのワタナベノボルとかワタベノボルとかと同じで、鼠が村上春樹の一部であるように龍自身の一部だ。てめえ、おれを小説に出しやがってとかそういうやりとりがあって名前をかえたのかもしれない。

坂本龍一はこの小説だけでなく、しばしば村上龍の小説の中にでてくる。『五分後の世界』の場合、最初若松としてでてくるが、おそらくヤマグチという日本国地下司令部の司令官もその名前から類推されるように彼がモデルで、どうせ戦場のメリークリスマスを観て、こいつにオレの小説でも軍服着せたいとでもおもったのだろう。『五分後の世界』には、その他に坂本悟大佐とか、中嶋龍一少尉とかの名前の軍人も出てくる。

基本、軍隊というのは、ナチに示されるように様式美であって、ナチスがいまだにどうこういわれるのは、その存在がエロいから。様式美はエロスの象徴であり軍隊は死と結びついている。エロスとタナトスは表裏一体で、だから軍服とか紋様とか様式美が確立されている軍隊なんて鬼に金棒的なものであろう。イメージは欲望と同じで、歴史のようにはうまくは封印できない。
村上龍の小説に出てくる軍隊とか戦争とかはだいたいそっち系でエロスの代替だったりする。

『海の向こうで戦争が始まる』という小説もそうなんだろう。自分はこの小説の内容がうまく思い出せないのだが、なぜかいつもこの小説を思い出そうとすると、村上春樹の『海辺のカフカ』を思い出してしまう。海辺のカフカ、佐伯さんはいわゆるオイディプスの母なのだけれど、日本版のエディプス・コンプレックスは、西欧のそれとは違って、どこかで次元の断層というか、モヤがかかっている。たぶん、そのモヤの向うにある母親のイメージが、「海の向こう」で始まる戦争と被っているんだろう。たぶん。なぜかわからない。日本に父殺しの悲劇がそれほど根づかなかった理由は、この『海辺のカフカ』を読むとわかるような気がする。

そういえば、景山民夫の奥さんも村上龍のいくつかの小説のモデルになっているそうだが、そのあたりは自分はよく知らない。この『エクスタシー』は三部作で『KYOKO』で終わるらしいが、その映画版にでていた高岡早紀がレイコのモデルだろう。しかし、高岡早紀ってどこがそんなにいいのだろう。というか、村上龍って服の趣味と一緒でおんなの…。まあ一部ファンの意見とそのあたりは自分も同じだ苦笑 だが、なにかはあるのだろう。カンブリア宮殿の小池栄子も菩薩顔のおっぱいでかい系だけど。