「ものの形を見分ける」
モノには本質があるか、ないか?
そんなことが哲学では重要な命題で、二千年以上にもわたって言葉を変えながら議論されてきた。
本質論というのは、たとえば、われわれがコップを見てそれをコップだと認識する、花を見てそれが花だと認識する。
それはコップだったり、花だったりの本質というものがあるからだと。
本質論の展開のされ方は、いろいろな主義や考え方によって異なるのだが、基本的には、「本質というものはあるのか、ないのか」。この点に尽きる。
このあたりの話は、井筒俊彦氏の「意識と本質」、「意識の形而上学」がおもしろかった。
意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)/井筒 俊彦

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東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫BIBLIO)/井筒 俊彦

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にんじんを認識する脳細胞という話題が以前に脳科学の話題であって、「ああ、じゃあ、本質なんてないじゃん。」とおもったのだが、詳しい話を読んでなかったのでちょっとググってみた。
「ものの形を見分ける」脳の働きをキャッチした
http://www.riken.jp/r-world/info/release/news/1996/jul/index.html
脳細胞の先天的な構成および発達方向の指向性と後天的な学習によって、モノの認知が変わるわけで、「本質」というものは、脳細胞のモジュール構造とモジュール間の反応方式で作られているだけなのである。
アリストテレス(生年月日: BC 384年) のイデア論*1から、サルトルの実存主義※1(没年月日: 1980年4月15日)まで、いろいろ頭でこねくりまわしていたところでなんら埒などあかなかったということだ。
哲学とか社会学とかマジ必要ない。というか意味なんてない。
なーんていうのがソーカル※2たちの本音で、もし彼が『知の欺瞞』で言いたかったことの本質というものがあるとするのなら、まあそういうことなんじゃねえの?なんて、こういう実験結果をみると思うのである。
まあ、彼ら物理学者は、生物学もバカにしてたりするのだけれど。
人間模様だったり、人間だったりはそんなもんで、哲学やら科学やらとは別のところで動く。それだけのことである。
※1 サルトルの即自と対自
「実存は本質に先立つ」というのがサルトルの実存主義。即自というのは、たとえば、なんらかの目的をもって作られたもの、ペーパーナイフだったり、のこぎりだったり、ホッチキスだったり、それがあるようにしてあれと願われて作られたような本質があるもの、ものが常に自己同一的な存在のありかたをしているものを指し、対自というのはあらかじめ決められた本質がないもので、人間がまさにそれであって、人間にはもともと本質というものはなく、実存があったのち自らそれを作り上げることによって本質が作られると彼は言う。
※2 きみはソーカル事件を知っているか?
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html
*1 イデア論
イデア論はプラトンだよ!なーんかおかしいなと、あとで気づいた。ださー。プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)
そんなことが哲学では重要な命題で、二千年以上にもわたって言葉を変えながら議論されてきた。
本質論というのは、たとえば、われわれがコップを見てそれをコップだと認識する、花を見てそれが花だと認識する。
それはコップだったり、花だったりの本質というものがあるからだと。
本質論の展開のされ方は、いろいろな主義や考え方によって異なるのだが、基本的には、「本質というものはあるのか、ないのか」。この点に尽きる。
このあたりの話は、井筒俊彦氏の「意識と本質」、「意識の形而上学」がおもしろかった。
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「ものの形を見分ける」脳の働きをキャッチした
http://www.riken.jp/r-world/info/release/news/1996/jul/index.html
脳細胞の先天的な構成および発達方向の指向性と後天的な学習によって、モノの認知が変わるわけで、「本質」というものは、脳細胞のモジュール構造とモジュール間の反応方式で作られているだけなのである。
アリストテレス(生年月日: BC 384年) のイデア論*1から、サルトルの実存主義※1(没年月日: 1980年4月15日)まで、いろいろ頭でこねくりまわしていたところでなんら埒などあかなかったということだ。
哲学とか社会学とかマジ必要ない。というか意味なんてない。
なーんていうのがソーカル※2たちの本音で、もし彼が『知の欺瞞』で言いたかったことの本質というものがあるとするのなら、まあそういうことなんじゃねえの?なんて、こういう実験結果をみると思うのである。
まあ、彼ら物理学者は、生物学もバカにしてたりするのだけれど。
人間模様だったり、人間だったりはそんなもんで、哲学やら科学やらとは別のところで動く。それだけのことである。
※1 サルトルの即自と対自
「実存は本質に先立つ」というのがサルトルの実存主義。即自というのは、たとえば、なんらかの目的をもって作られたもの、ペーパーナイフだったり、のこぎりだったり、ホッチキスだったり、それがあるようにしてあれと願われて作られたような本質があるもの、ものが常に自己同一的な存在のありかたをしているものを指し、対自というのはあらかじめ決められた本質がないもので、人間がまさにそれであって、人間にはもともと本質というものはなく、実存があったのち自らそれを作り上げることによって本質が作られると彼は言う。
※2 きみはソーカル事件を知っているか?
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html
*1 イデア論
イデア論はプラトンだよ!なーんかおかしいなと、あとで気づいた。ださー。プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)