統計学を超えるモノ | 象の夢を見たことはない

統計学を超えるモノ

人間の視界は水平方向に広いが垂直方向に狭い。

高さの判断とか、高いビルの窓を数えて何階あるかとか、そういう解析能力は、横方向での解析能力に劣る。
縦書きの小説と横書きのブログ、斜め読みのしやすさとか。

引力に従って地上で歩くこと余儀なくされた人間と、羽をもつ鳥類の視覚や垂直方向の物体の判断能力はおのずと違う。

人でも、サバンナ型の人間、ジャングル型の人間、山岳タイプの人間。それぞれ視覚も違う。

視覚に限ったことではない。聴覚、触覚、嗅覚、味覚、etc。。

それを考えると、共通の美などあり得ないと思うのだが。

統計的なグラフで紡錘型の頂点をなすいわゆる「平均」な人に受ける「美」というものと、グラフの一番右端のいわゆる「選ばれた」人に受ける「美」というものがあって、それらはクロスオーバーしないように思うのだけれど。。

時代時代での特定の波は、そういう統計的な範囲内にある。そんなふうに思える。

しかし、歴史を超えて連綿と残っていく「美」というものがある。もちろん「美」だけではない。

それらは、そんな統計的な考え方を超えたところにある。

その正体はいったい何なんだろう。ただの遺伝的な共通項というだけでは説明できないような気がするのだが。。

人が認識できる歴史の範囲も視覚と同じようにどこかに制限はある。
超えた筈の歴史は、しょせん釈迦の手のひらだ。

宇宙の広さを見る、歴史を超える視覚を得る。そんなところに答えがあるのだろうか。
そんなもの、理解も認識もできそうにもない。

が、それを知る能力を人が持っているだろうことを疑ったことはない。あるいは疑うことはできない。

それも煩悩なのだろうか。
であれば、その煩悩とやら、抱えて生きてやるアップ