午後の最後の芝生 | 象の夢を見たことはない

午後の最後の芝生

肉体の年齢と精神の年齢というものは、ちぐはぐなものだと昨日のK1を見て思った。

暴風のような体を持った若者がタクティクスに敗れることもあれば、老練なファイターがその暴風にあとかたもなくなぎ倒される。

肉体のピークと精神のピークのはざまなどはたぶんない。あるのはただその体の事実だけなのだろう。

そういくら納得させても、無条件な彼らの体が発するエネルギーというものに翻弄される。

裏にかくれた気の遠くなるような練習に思いをはせたとしても、それはもって生まれた体という事実に跳ね返されるのだが。それでも、なお…

やれやれ、やはり、ぐったりした子猫を何匹か積み重ねたようになってしまう。

オーケー、そういうことだ。

コスモス  ハチ  コスモス  ハチ  コスモス

村上春樹づいている。『午後の最後の芝生』。
芝生を丁寧に刈るというその行為が崇高にみえた。それは読み直した今もかわらない。

実は彼の行為はその家でみたティーンエージャーの部屋とどこか相似だったりする。きれいに整えられている。趣味も悪くない。とくに人目につくというわけではないけれど、とても感じがいい。

でも、問題は…彼女がいろんなものになじめないことです。自分の体やら、自分の考えていることやら、自分の求めていることやら、他人が要求していることやら…そんなことにです。

ディスクオリフェィケーションをくらったときのバタ・ハリの表情、そのときのレミーが浮かべた涙。

だれも自分になじめるものなどおそらくいない。それがもしかしたら生命の真実なのか。

いや、そんな達観したものではないだろう。言葉ではなにもつかめない。つかめる筈などない。

でもそれでも戦う前に見た彼らの体や精神は事実だったと、それに魅せられた自分を疑う必要はないとそんなふうにも思うのである。

午後の最後の芝生は輝いていた。そんなふうに思いたい。

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991/村上 春樹

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