『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の覚書 | 象の夢を見たことはない

『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の覚書

<覚書>


以下はネタばれするので、映画見てないかたはご注意くだされ。


コスモス  ハチ  コスモス   ハチ コスモス


ノイズ音楽についての考察 参考文献:『音楽と記憶』 ボブ・スナイダー


【持続時間】

時間の長さの感覚は、その間にどれだけの事象が生じたかではなく、それらの事象からわれわれが処理した情報の量に依存する。

新しい意外な事象で埋められた時間は、冗長的な予測どおりの事象で埋められた時間より長いとして記憶される。たとえば、外国などで休暇を過ごすと、慣れきった環境で過ごす同じ時間よりずっと長いものとして記憶されるように。


ノイズ音楽の場合、あるいは即興音楽の場合、通常われわれが知覚する音楽の時間の感覚をなくする方向に働くのかもしれない。

時間の感覚がなくなるというのも魅力のひとつだけれど、より多数の予測の背反を刺激として感じることを快感とするような本能(もしそういうのがあればだが)にも訴えてくるのかもしれない。


【連続性】

知覚によるメロディとリズムのグルーピングは、フレーズの境界をつくる。その構成要素をわれわれが覚えることができなければ、パターンとして認識ができない。スキーマ認知が成り立たない。


自殺者にノイズ音楽が有効であるとした意味

時間に対する絶望、あるいはスキーマで構築された世界に対しての絶望。そこからの逃避としての自殺。既存スキーマの破壊を絶えず続けていくことでしかほんとうの生は得られない。


たぶんそういうことが言いたかったんじゃねえかと。よくわからんけど。


あるいは破壊の先になにかを見たような気もするのだけれど、そこはかとなく。。それは気のせいか、もしくは自分の希望的願望だったのかも知れん。最後のシーンも、2つの部屋が何を象徴してるかがよくわからんかったんだよね。青い方の部屋はバッテンついてたのだが、あれの意味ってなんぞや。ほかの人はどう見てるのだろう。。


ところで、こういうノイズ音楽に、映像のエフェクトとして映像的なメロディとリズムをつけるなんてことをすれば、なんつーのを誰かやってくれないかしら。なんかこの映画でもチラっとやってたのだけど、やりすぎるとノイズ音楽としての意味なくなるので派手にはやってなかったような気が。。記憶違い?


<追記> 

あ、レミング病が視神経からっていうのと、音で腹いっぱいというのは、彼らが拾ってた音がなんらかの視覚イメージを要求する音だからというたぶんそういう意味だろうと。最初の音を作ってるシーンって結構長くとってたのはそういう印象をつけるためじゃね?ホース振り回した音がどんな視覚イメージを結ぶのかは良くわからんかったが。。ホースをまわすイメージそのものだとか(笑)。

だから、数あるノイズ系バンドでもそういう音を材料にしている彼らの音でしか病原体は腹いっぱいにはならないだろうとかそういう意味だと勝手に解釈。演奏時間がなげーのは客の時間感覚を無くすためなんじゃねえかとこれも勝手に。。このあたり半分寝ながら見てたので、朦朧としてたのだが。半分寝ながら見るのにも良い映画ですた。