Bourne Ultimatum | 象の夢を見たことはない

Bourne Ultimatum

Bourne ultimatumを見ている。

英語版でしか見た事がなかったから、改めて借りて見直したのだけれど。


以下はネタバレを含むので、見てない人は読まないでくだされ。


しかも、かなりネガティブな感想なのである。

ここ数年でもっとも好きな映画シリーズなだけに思い入れが激しい。

特に最終話であるultimatumについては、すべてが最終決着する話であるだけにその出来に対しては自分の中でハードルをかなり高く設定してしまっていたこともある。


でも、それでも、ultimatum、好きになれない。


というか、第一作から第三作にいたる流れで、映画のスケールがサイズダウンしていっているように思える。


もちろん、内容もストーリーも緻密になってきて、アクションも練られたものになってきている。

使われる技術は、それぞれが前回のモノを土台にして、さらに新しいものを積み上げるというものなので当然、それぞれが前作よりもグレードがあがってくる。カメラワークにしてもそう。


しかし、そのために遊びがなくなって来ている。シリーズの性質上、どうしても遊べる余地が少なくなってしまうのか。


三作目のultimatumは、前作までのキャストを引き継いでいる。新しい対決もあるが、それはただのCIA組織内部での対決する役者の顔が変わっただけ。Bourneを狙う暗殺者という構図も同じ。

ロケーションの場所もタンジール以外は代わり映えがなく、画面がもつ均一な印象は、青と白のモノトーンとあいまってさらに閉塞感を加速させる。

スピードの緩急のつけ方も、この映画、どこをとっても同じ。いくつかの部品からなるのだけれど、すべての部品が均質なのだ。

戦いも、すべて閉じられた世界で行われる。

部屋の中で行われる情報戦、タンジールでの追跡と格闘、狭いニューヨークの道路でのカーチェイス。

すべて閉じられた狭い場所で行われている印象。

ストーリー上、そうならざるを得ないという圧迫感はわかる。


主題自身が三作目に向かって収束していくからだ。


それゆえに緻密さ・スピード・技術面を含め、閉塞感もまして行く。

ストーリーが密になり、戦いも密になり、主題は収束していく。


がしかし、それに見合ったほどの最終的な解放は訪れない。

プロセスの達成感が得られないのである。

加速された閉塞感に見合うカタルシスがない。


かといって、007みたく美女と熱いベーゼをなんていう安易な結末で納得できるわけもない。

暗殺者としての運命を自ら選ぶという選択をした時点で、最終的に自身の人間性とのハザマで葛藤せざるを得なくなるというドンヅマリ。それでも、生きるしかない。


そういう共感は、いろんな場所で狭くなっていく今の世界の中で、自身の運命とおのおのが向き合っている観客にとっては、あまりにありふれている。

観客にとっての『解』がないというのは、すくなくとも娯楽映画として始まったシリーズ映画として最悪の完結だと。そんなふうにも思える。


海に浮かぶBourneで始まったこのシリーズは、最後に海(ハドソン河?)に落ちたBourneが泳ぎ始めるシーンで終わる。

彼自身を取り巻く状況には変わりはない。誰かが言ったようにこれではエンドレスループである。

彼はそこから彼自身のアイデンティティを取り戻さなくてはならない。


もし、次の作品があるならば、例えばどこかの場所で、まったく別のことをして生計を立てているシーンから始めて欲しい。どんな仕事でもいい。コックでもいいし、ツアーガイドでもいい。あるいは子供が、とくに息子がいるという設定で始めるとかだとさらによい。希望の萌芽が形として見えるからだ。

ほんとはそういう部分を三作目のどこかに入れるか、彼が地に足を付けた人生を始めるための希望を伸ばせる余地を忍ばせて終わって欲しかった。


だが、一作目のマリーとの結末を否定して、二作目が始まっているのでそれはまったくもってひじょうに難しいことになってしまっている。運命にバインドされたボーンにとってマリーは自由の象徴だった。


しかし、なんらかの方法は模索できるはずだった。また模索できるはずだ。

マットデイモンはこの映画のあと、「おなじ主人公で4作目なんてありえない。ボーン・シリーズは3作目でラスト」と言った。

そういったマットの言葉は、自分にはどこか逆説的に聞こえたのは、そういうこともあってなのだが、どこかで彼には敵を討って欲しいとそんなふうに強く思う。


<メモ>

ボーン・アイデンティティ The Bourne Identity

監督 タグ・リーマン

制作総指揮 ロバート・ラドラム

        フランク・マーシャル

        タグ・リーマン

脚本 トニー・ギルロイ

    ウィリアムブレイク・・ヘロン

撮影 オリヴァーウッド


ボーン・スプレマシー The Bourne Supremacy

監督 ポール・グリーングラス

制作総指揮 タグ・リーマン

        マット・ジャクソン 他

脚本 トニー・ギルロイ

    ブライアン・ヘルゲランド

撮影 オリヴァー・ウッド


ボーン・アルティメイタム The Bourne Ultimatum

監督 ポール・グリーングラス

制作総指揮 タグ・リーマン 他

脚本 トニー・ギルロイ

    スコット・Z・バーンズ

    ジョージ・ノルフィー

撮影 オリヴァー・ウッド


スタッフをみても、いったい何故ああいう最後に突入せざるを得ないのかわからない。

ボーン・アイデンティティが持っていた物語性や大らかなダイナミズムが奪われたのは何故?