無常ということ
ナンシー関の『小耳にはさもう 100』を買った。
- ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」100 (朝日文庫)/ナンシー関
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おなじ日にamazonから届いた小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』を読んでいた。
さすがに小林秀雄、彼が語ると重いのだが、「真贋」のくだりを読んでいて思った。
待てよ?と。
あらためてナンシー関を読んでみる。
パッと開く。
「昔、『お笑いマンガ道場』に出てたくせに偉そうにすんな」 某財界人発言。
川島なお美の項である。
ナンシー関、いったい彼女のどこが小林秀雄に劣るというのか。
短編の命の半分は題名である。
どちらがよりキャッチーであるか。それに尽きるのだ。
その地点で、すでにナンシー関に軍配があがる。
「アムリタ」とか「キッチン」とかも、もはやその名前だけで手にとってしまうのと同じである。しかも、作者はよしもとばなな。なんかもう名前からして「ばなな」である。「ひらがな」なところがさらにそそる。
そして彼女も、ばなな氏と同様に「ナンシー」という名を持つのである。
短編というのはそういう世界だ。どーいう世界か。
文体を見てみると、そのメタファー、そしてアフォリズムは小林秀雄もしのぐ勢いである。
しかも、ケシゴム版画までついている。
おトク感はさらに倍である。
さいきん、『考えるヒント4』を買おうと本屋に入ったが、小林秀雄自体がみつからない。
そりゃ、小林秀雄なぞだーれも買わんくなるわ。そういう感想さえ抱いてしまう。
いまどき、どちらが「真」で、どちらが「贋」であるのか。
松本人志は、「今、お笑いの批評をちゃんとできるのはナンシー関とみうらじゅんだけ」と言った。
彼のなかではみうらじゅんと双璧をなすほど評価されているのである。
そう、松本人志自体、右手にナンシー関、左手にみうらじゅんを持ったオキアガリコボシを想像すればよろしい。彼女は、そういう実力者なのである。
とかなり無理やり誇張して書いてみたのだが、どうあがいてもナンシー関の文体をまねるのは難しいことがわかった。やはり中身がないと彼女のマネはできないらしい。
2002年に亡くなられたので、もうこのコラムを読むことができない。時代と密接にかかわっているだけにネタの風化が早いのだが、今ならまだ、この本はギリッギリ、買いである。来年では、もう遅い。
さて、私ごとながら、実はナンシー関って男だと思ってました。
ナンシー関自体、こないだ始めて他の方のブログで知ったのである 