バリの神様 その3
前回の続き。
さて、引き上げである。席をたって会場出口に向かう。
ちょっと待て。こんなに人が多かったっけ?考えて見れば、ひな壇は5段から6段あった。
広場はバスケットコートがスッポリ入って余るくらいの大きさだ。その3方を囲むほどなので、80m近くあるだろうか。1人あたり80cmとすると、5百人はいたのかもしれない。
それが一斉に出口を目指して動き出したのだ。
さて、私は人の顔を覚えるのが得意ではない。
中学校のときは、なんども友達を別の人と間違えて声を掛けたことがある。そのたび怪訝な顔をされたのだが。。
タクシーの運転手は、今日会ったばかりである。しかも、後ろから主に見ていた。さらに相手は外人である。
顔が。。思い出せない。
やばくな~い?スゲくな~い?
聞いて!
バリ島は観光地だとはいえ、インドネシア。しかも、タナロットは山道を越えた岬にあるので、電気もまばらである。まわりには人家もない。
そして、果たして自分がどこで待ち合わせをしたのか、わからないのである。
はい、しかも、向こうだって顔を覚えているかどうかわからな~い。
はい、しかも、別れたのはすでに3時間も前である。
ハイ、ダメ~
いやいや。。でも、やはり。。いやいや。。
かなり、不安に駆られながら、明かりがついた場所から、次の明かりの場所へ歩く。
違う。
ここも違う。
さらに、次の明かりの場所へと歩く。
そうやって、いくつかの明かりを過ぎたとき。
いた!いたよ!
お互いの目があって、同時に気づいた。
そうだ、彼だ。
当たり前のように近づいて声を掛ける。
た、助かった~
そして、ふたたび、暗い山みちを下り、ヌサドゥアにあるホテルへ戻ったのである。
心づけを多めに払って、ホテルから帰るタクシーの後ろをしばらく見送った。
人は自分の能力を普通に生活しているときには意外に気づかない。
人の気配とか視線を感じながら実は生活しているのだけれど、あたりまえのようになってしまっているものなのだろう。
そうも思ったのだが、なんだかバリは違うのだ。
信仰深い土地というのは、そこかしこに感じる。
自然に対する畏れや敬いというのは、朝海岸に出ればわかる。
夜も明けて間もない朝、海岸沿いを散歩していたら、村の人たちが、集まってお祈りしているのを見かけた。
バリはそういう土地なのだ。祭礼の儀式もそこここで見られる。
それを空気で感じる。肌感覚がどこか違うのである。
自分は夜になるといつも、バリ島を覆うように羽を休めるガルーダを感じて眠りについた。
なぜなのかはわからない。
自分の中で何かが開く土地というのはあるらしい。そんなふうに思いたい。とてもシンプルに。
今日、誕生日を迎える友人に。。敬愛をこめて。
