野性的で冴えてる連中
井筒俊彦さんの『イスラーム思想史』を読んだ。
かなり、はしょって読んでしまったのだが、書かれてあるのはイスラーム思想史だった
。ひゃはは、バンバン
イスラム教と新プラトン哲学やらアリストテレス哲学やらが中心で、スーフィズムはあまり出てこない。
思想史はたいしておもしろくもないことがわかった。
哲学はもういい。飽きた。
井筒さんのスーフィーの関連の本のついでに読んだけれど、スーフィズム出てこないし、ユングの錬金術やらオカルト系の本もよんだけれど、神秘主義もなんか学術的な文章にすると肝心なエキスが飛んでしまうのである。
最近の大学のトレンドは、茂木健一郎氏が露出しまくっているのに現れてるように、どうも認知科学らしい。
いままでの人文科学を根本から塗り変える力があると目されているのはちょっと本を読めばわかる。
10~20年前の人文系の学問が、恐ろしい勢いで書き換えられている。そんな感じなのである。
人文科学のいろんなアラが明るみに出てて、人文系の学者に対してドSな自分的にはおもしろい。
というかある種、自分がMなのかも知れない。
デジャヴとかも、エピソード記憶とスキーマ認知間の記憶の干渉効果として実験的にもある程度確かめられたりしている。神秘的なものと考えられていたモノのベールもはがされつつあるようだ。
ちなみに、認知科学は日本にはロクな本がまだない。進んでいるのは、やはりアメリカで、日本人はこういうことを語る文脈はもっていない(村上龍ふう)。
しかし。。
滝田明日香ちゃんの『晴れ、ときどきサバンナ』をずっと読んでいる。
もったいないのでちょっとずつ読んでいるから進まないのである。そんな本は、ここのところ出会ってなかった。
今まで読んだ本としては、たかのてるこさんの『ガンジス河でバタフライ』とか『モンキームーンの輝く夜に』みたいなのに似ているといえば似ている。
だが、やってることのベクトルが違うのである。
というか、冒険具合が明日香ちゃんのほうがハードというかむちゃくちゃなのである。
でもどっちにも共通して言えるのは、旅しないと得られない偶然というのがちりばめられていることだったりする。
危機一髪というところで救いの手がどこからか伸ばされるのである。
あるいは動物的な直感が働いたりとか。
もう一回、同じことしろったって無理。自分だけでできるものではない。
そういう出会いとかタイミングのエピソードが目白押しなのだ。
ああいう体験を何度もしてしまうと、論理的に物事を考えるということができなくなるんじゃないだろうか。
よく女のコで、男でもそうだけど、ツキとか運でそういうのを片付けたくなる人がいるが、そういう気持ちはわかるような気がする。
そういうコたちは、だいたい物事に一生懸命なコが多い。動物的に集中力が働くコとか。。
というか、ああいうのは考えてわかるとか納得できるという射程範囲をはるかに超えているので、あれはいったい何だったんだろうと考えてもわからないのである。
しかも重なるときには、特に危機的な局面ではそういうことが何度も重なるので、どれが必然でどれが偶然なのかも考える暇がなかったりする。
そういう偶然のおもしろさというのは、さすがにまだ説明する文脈を認知科学も持たない。これからも持たないだろうというそんな予感がする。
どこまでがわかって、どこからか以上はわからん。その限界を知るために研究しているんだとカオス理論の実験をしている大学の先生が語っているのをNHKで見たのだけれど、たぶん、彼らが実験しているときにも、上で書いた明日香ちゃんみたいな経験をしているからだろうとそんなふうにも思う。
仕事してるときでも、必死なときにはそういうことが訪れることは、やはり誰にでも何度かは必ずあるだろうと思うからだ。
そういう経験をすることがやっぱり人生の醍醐味で、人のそういう経験を本で読んだり、聞いたりすると
おーっし、おれも一丁やったるで~
といつも思うのである。
と今日もまたあいかわらずポジティブぶるのである。
あ、バリであったそういう経験のことを書こうとおもってたのだが、それはまたいずれ。
じゃあ、また(村上龍ふう)