男の結論、女の結論 | 象の夢を見たことはない

男の結論、女の結論

なんて書くと、ステレオタイプの見本みたくなるのだが、スキーマ的に言うとそうなってしまう。


私たちがモノや事象をみる場合、意識下でそれをカテゴリー化する。

ただカテゴリー化するだけでなく、物理的な形状や状況、時間的な配列を一般化し、それをもカテゴリー化する。いろいろな経験を重ねるごとに、そのメタカテゴリーは平均化されてひとつの抽象的な記憶の枠組みとなる。

これが意味記憶の形成過程で、この枠組みを認知科学的にはスキーマと呼ぶ。


このカテゴリー化は、社会システムや文化、世間などのトップダウン的(概念的)なものと、その人がもつ知覚的、遺伝的特長に起因するボトムアップ的なものとの動的な関係で形成される。


『なるほどの対話』(新潮文庫)を読んでいた。

なるほどの対話 (新潮文庫)/河合 隼雄
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河合隼雄さんと吉本ばななさんの対話なのだが、どうもつまらない。


実は、河合さん自身の本も教科書と対話集以外はあまりおもしろいとおもったことはない。
河合さん、日本人の中空構造とか言われているのだが、なんだかそれ自身、河合さんにあてはまるようで、コアなもの、たとえばユング心理学について書くとかいうようなものがない場合は、中身が中空なのである。
対話集は、対話者がコアになる。対話者にひっぱられて、コアができる。


でも、それも相手による。ひっぱられ具合で、内容がのびのび、要領を得ない女の人の話を聞いているような感じになったりもする。一人の対話者を決めての本だと、どうもそうなるようで、たぶんカウンセリングもそのようなものなのだろう。


そんな本なのだけれど、この本の中で、吉本さんがこんなことを言っていた。


吉本:私も、そういう、ちょっと調子の悪い人とお話する機会がありますが、「うまくいった」と思うと絶対だめですよね。私は素人ですから、何かの相談にのっているわけではないのですが、「ちょっと調子が悪い」という人と電話でお話をすることが多い人生だったので。でも、いつも、それは、思う。素人でも思う。「こっちも感動して、相手も感動して、よかったー」というときは、絶対だめ。ぜんぜんだめ。「どうでもいいよ」という感じで、だらーっといったとき、あとでヘンにお互いに癒されていたりする。


向田邦子さんのエッセイと短編集をよんでいると、やはりそういう癒され方をする。

話はあっちへとびこっちへとび、あらためて考えてみれば、なんだかどうでもいいような日常のたわいもない話だったりする。結論とかコアなんてない。

『あ、うん』も読んだけれどなんか、だらーっと話は続いていくのである。ただ、向田さんの本は、中身が面白いので、ずーっと続けて読んでしまうのだけれど。


もとへ戻ろう。


男の結論と書いたけれど、男の場合、生理的にもそうなのかもしれないが、はやく結論を出したかったりするようで、だらだら話をするのが嫌い。筋道が立たない話は嫌。

逆に女の人の場合は、話をすること自体に目的があって、結論はどーでもよかったりする。

人によるのだけれど、そういう傾向はあるようだ。


と自分自身のことを考えてみても、こんな感じで男の方はスキーマで話を片付けようとする傾向がどうしても強かったりするのかも知れない。現実的な、というかすぐに結論を求められる場合には、そういう処理能力はどうしても必要なのだけれど、結論が出ないような問題のほうが、それこそ実は現実には多い。
インテグレーションポイントなどない、なんかかんかあるけどうまくやっていけてる、あるいはうまくやっていけてない、方法論なんてないような問題。そういう問題の対処というのは、女の人のほうがうまいんじゃないかとときどき思う。


村上龍のエッセイやRVRも見てても、彼は独特の切り口をもっているのだけど、決して彼が出している結論は実情にあっているわけではない。
結論の出ないようなものをわざわざ問題にしているし、それは彼の本質が小説家だからなのだろうけれど、それはとりあえずおいて置いたとしても、言ってることに飛躍もあるし、ものを一面的にしか考えていないところがある。けれど、それも含めて言いたいことと言ってる事がわかりやすい。
ばっさり切捨てて、小林秀雄もそうなのだけど、その切り捨て方があまりに見事で、たぶん言ってる本人も感動してるのだろうけど、こっちも感動して、「よかったー」っていう感じが好きで読んでいるのだが、そういうのは実はうそくさかったりするのを、アンチの人は見破っているのだろう。


村上春樹が好きで村上龍がきらいという人は多分そんな感じだと思う。

「そんなに世の中単純じゃない。キミからはみだしたり、こぼれたりしてるものは多いよ。ばっかじゃない?」と。
逆もまたそうで、村上春樹が嫌いで村上龍が好きっていう人は、

「うだうだしてたって、前には進めない。ぶった切って進む。それで問題が起これば、またぶった切ればいいだけじゃん。結論出さずにいてなにが面白いのよ?」と。


『なるほどの対話』。「どうでもいいよ」という感じで、だらーっといって終わっていて、だから結論はなんだよ。とも思うのだけれど、あとでなんだか癒されてたりする。
河合さんは、この本の中でご自分のカウンセリングについてこう言っていた。


河合:その人がいちばん聞きたいこと、いちばん言いたいことに答えねばならないと思っていたら間違いなんです。


どっちもどっちだけど、やっぱりどっちも必要なのだと、欲張りな自分はそう思うのである。

という見解。ど~でもいいですよ♪


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『まいど』と言えば、私が所属してた大学のクラブでは、『まいど、おいど、でんぼー』と挨拶をする習慣がありました。さらにどーでもいい話ですね。はい。