タイ仏教
去年、ペナン島に遊びにいったとき、ワット・チャヤマンカララームへお参りした。
タイ仏教の寺院である。それほど有名なお寺ではない。
ペナン島はマレーシアでももっとも華人の人口が多い。島の人口60万人の約70%を華人が占める。
そのため、中国寺院も多いのだが、このお寺もタイと中国式が入り混じった不思議なつくりのお寺である。
クアラルンプールで友達が結婚式をして、その後、その友達の家族と何人かの日本からの式の参列者でペナン島へ観光に行ったのである。
ルー大柴的に言うと、新婚旅行にトゥギャザーである。
なお、しばらくしてから、友達夫婦はパタヤへほんとの新婚旅行に行ったので、一行も一安心である。
KLに住む現地華人が友達の旦那で、そのコの発案で皆でお守りを手首に巻いてもらおうということになった。
で、お坊さんの前に一人づつ座って、お布施をしてお辞儀をし、合掌して手首にサイシンを巻いてもらった。
たぶんサイシンで合っているとおもうのだが、糸をよって作ったミサンガのような紐を巻いてもらうのである。
感動したのは、来ていた日本からの参列者は、私より10歳くらい年下のコたちが多かったのだが、みなこういう状況では信心深くなることで、お坊さんに合掌しながら、サイシンを巻いてもらう姿が、妙に幼く子供みたいで、でもなにか尊く見えたことである。
普段は宗教などとは接点をもたないし、葬式とその後の法事くらいしか坊さんとは会わない。
京都や奈良や鎌倉の寺にいっても、観光であって、見仏だったりする。
あまり信仰というものに向き合うことはないのだけれど、なぜそういう姿を尊いと思ったのかと。
タイ仏教は、上座部仏教、南伝仏教で、小乗仏教と呼ばれる。
小乗仏教というと、「自分だけ成仏して他の人など知らん!」というふうに歴史で教えられたが、実際はそうではない。
釈迦の教えと戒律を守り、それを実践することが悟りへ至る道であるとする仏教であって、なにも、他の衆生など知らんと言っているわけではない。
お釈迦さまが信仰の対象であるシンプルな仏教なので、仏像とかも、やれ十一面観音だの、薬師如来だのなんてものはない。
見仏ファンには物足りないのだが、実際にお寺に行って、お坊さんにあうと、本来の信仰のかたちというのはどう考えてもこちらだろうという気持ちになる。
三尊像というのも、なのでこんな形となる。みうらじゅん氏の見仏記を読んで、最初は小乗仏教、違和感があったし、教えられてた小乗仏教というのが、そういうものだったので、どうなんだろと思ってたのだけど、現地で実際にお寺にいって、お坊さんたちに触れると、やっぱり、なんかこっちのほうがほんとだよなという気がする。
そういうのがあって、友達が手を合わせる姿を尊いものだとおもったのであろう。
まだ、日本のお寺しか知らない人は、ぜひタイやラオスなどのお寺に詣でると良いのではと思う。
信仰心っていうのは、そんな悪いものではないということにあらためて気づくかも知れない。
どうも、そういうものまで、日本にいると汚れてしまうような気がする。
末法というのは、実はそういう世の中なのだろうとそんなふうにも思えるのである。

