関係の寿命 | 象の夢を見たことはない

関係の寿命

どうも、さいきん男の人の文章を読むのがつらくなってきた。

宮本輝の本も久しぶりに買って読んでいるのだが、どうも頑固なところに磨きががかっていて、こっちもそれが鼻につく年齢になってきたようである。

流転の海シリーズも『天の夜曲』くらいでしんどくなり始めている。『花の回廊』くらいで、読むのは打ち止めになるかもしれない。


『流転の海』、1984年からなので、すでに20年を超える。

ライフワークというものにも、読者が決める寿命というのがつくのかもしれない。


はたして人の付き合いというのにも寿命はあるのだろうか。


沢村貞子さんと河合隼雄さんの対話を読んでいた。

沢村さん、『寄り添って老後』なんて本を書くくらい、だんなさんとはラブラブだったのか、この対談を読んだだけで、良い夫婦だったのだろうと偲ばれるのだが、


沢村:言いたいことは、相当言います。ただ、自分でたった一つの取柄だと思うのは、言いたいことを言いますけど、相手の言うことを聞くんです。「違うわよ、そんなこと」って言っているうちに、ああ、そうかもしれないと思うと、「あ、ごめん。それは私が悪いわ」ってすぐ謝っちゃうんです。そこが単純な江戸っ子で、それで、まあ、もってるんですかね。

河合:言いたい事を言おうとする限りは、向こうの言うことを聞かないと話になりませんね。向こうにも言いたいこと言うてもらわないけませんからね。ただ、言ってはならないことというのは、何かあるみたいですね。

沢村:あります。あります。これは絶対言いません。


この対談も、やはり『河合隼雄対話集 こころの声を聴く』に入っている。なにかネガティブになったときには、いつもこの本を読むと落ち着くのである。

さらに対話は続く。


河合:そこはものすごく大事なことじゃないでしょうか。

沢村:その周辺のことも全く言いません。よく選べるなと自分で思うほど…。

河合:それを言ったらもうおしまいっていうのは誰でもあるんですね。言わずにいるというのは、やっぱり愛情ということになるのかな。不思議なことですね。どんな関係でもそうですけど。


愛情かあ。

一方的に読者であるというのと、人として付き合うというのはおのずと違う。

読者であるというのは、言われっぱなしで、フラストレーションが溜まるというのは確かにある。


どんな関係でもそうですけど。


どんな関係でもやはりそうなのだろうけれど、なにをどう見るとかどう聞くというのは、自分の勝手なので所詮は自己都合。

鼻につこうがどうであろうが、それは所詮は自分の心の裏返しだったりする。

自分を曲げる必要はないけど、見ない聞かないなんていう自由を手放す必要もない。

愛情っていうのは、そう考えると楽なもので、そういう自由を手放さなければよいだけだ。うーん、ポジティブ(笑)。

このあとに続く対話を読んでそんなふうにも思ってちょっと落ち着けた。


また、しばらく輝さんとの付き合いも続けられるだろう。


とおもって我慢しながら『にぎやかな天地』の上巻は読んだのだが、得られるものがない。

彼は人として終わっていると思ってはいたのだが、作家としても自分の中でその存在が終わったようだ。

見ない聞かないようにするとなにも残らない。おしまいですな。

さようなら、宮本輝。


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