ものの見方 | 象の夢を見たことはない

ものの見方

感情を伴うものの見方は、自分の身体の状態に影響されている。

子供のときに美しいという感情を抱かなかった紅葉だったり、花だったりに心を奪われるのは、自身の経験からではなく、自身の経験を尊ぶ心からくる。年を経て生命力がなくなってくるとこういう傾向が出てくるようである。
子供の頃には、ものを恐れる感情が強いのも、自身の小さな身体に対する危惧からきている。


正しいと思うことや、道徳や、美醜や、恐れや怒り、自分のあるいは他人のそういう感情は自身や相手の身体状態も考えてつき離して冷静に考えたほうがよい。


要するに感情的にものを見ている場合は、それらは畢竟自身の投影にしか過ぎないし、それ以外のなにものでもない。なお、感情的にものを見ないってことは、見る主体である自分が存在する以上、形而上的に不可能なことだろう。

自分のものの見方にとらわれているのはアホなのだが、同じアホなら踊らないと損である。
わかっていて踊れるといいのだが、わかっていると踊れない。踊れないと思っていても実は踊っているので、自己批判しながら踊りたいように踊るのが一番なんでしょう。
自己批判できないヤツは死んでくれ。