いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

今日はまた愛着の話を。そして、いつものことですが、私の文章は長いです。


最近気が付いたのですが(5年以上働いて今更)、
ネグレクトって、2種類あると思います。

障害などで育児手技ができない(環境が整えられない)ネグレクトと、
子育てを放棄するネグレクト。

私の勝手な印象ですが、だいたい在籍が長くなるのは、0~2ヵ月くらいの小さい赤ちゃんか、
生後12か月前後に入って来ることが多い気がします。

0~2か月はだいたい望まない妊娠か、産んでみてやっぱり赤ちゃんを育てるのが難しかった、という理由が多い気がしますが、
12か月はなんの数字なのか…?でも、そこにネグレクトが多いのは確かだと思います。

生後半年くらいまではそんなに動かないし、ミルクがあればなんとか育つので手がかからなかったのが、
動くようになって離乳食の時期になって手技的に厳しくなり、ネグレクトとなるのか

産後クライシスが1年くらいの間に激化して夫婦喧嘩がひどくなり、赤ちゃんをお世話する余裕がなくなって、
そこにおきた暴力を伴う喧嘩が面前のDVと認定され、保護されてしまうのか

元々夜の仕事で生計を立てていたママが、産後、経済的に厳しくなり、1歳前後で夜よく眠るようになると、家に残したまま仕事をしてしまうのか

もしかしたら、ママが映画「MOTHER」で長澤まさみさんが演じたような、自堕落で常に男の人が側にいないとダメな女性で、新しい相手ができるのがその頃なのか
(あのレベルになると、依存症のような精神疾患か愛着障害などを抱えてしまっているのかなと思います…)

(↑ちなみに全て私の勝手な想像です。現実のケースではありません。)

いずれにしても、子供に愛情がないわけではないと思います。
むしろ、誰よりも愛しいと思っていても、育児手技や生活環境を整えられないことも多いと思います。

私達現場の人間は、なんの情報もないまま入所してきても、その子がネグレクトだったのかどうかは当たりがつけられます。

肌状態でも分かりますが、見た目がきれいだったり肌が強かったりする子もいるので、
入ってきた子供が私達にどんな反応をするかで、親御さんとの愛着関係ができていたかを予測します。

ネグレクトで育って来た子は、適応?が早いです。誰にでも甘えてくるし、一人でもおもちゃで静かに遊んでいます。
ご飯もだいたいよく食べるし、寝かしつけしなくてもスッと寝ます。

後から情報がきて、「保育園に通ってたらしいから、慣れるのも早い」みたいに言われることもありますが、

普通の1歳くらいの子の初日の保育園の送迎の様子を思い出してもらえば、
来た初日に親も知っている人もいない保育園にすぐに入っていって一人でおもちゃで遊んでるなんて、まあないのではないかと。

もちろん、そうやってすぐ馴染む子の方が、後々、まるで膿を出すように強い甘えや激しい感情を出すので、養育する側はなかなかに大変なのですが、
そういう子が膿を出しきって、感情豊かに成長していくのを見守るのは本当に幸せな仕事だと思います。

でも、時々、ネグレクトと言われながら、親との愛着関係がよくできていたんだな、と思うケースもあります。

最初にいろいろ入所の理由を想像しましたが、育児手技や環境を整えるのと、愛情をかけるのは別ということなんだと思います。

つまり、(育児手技が)できないネグレクトと、(育児を)しないネグレクトがあるということなのでしょうね。
まあ、「やらない=できない」という考え方もありますが、ここではあえて2種類にしました。


ところで、最近は、「施設にいる時間は極力短くしましょう」という国?の方針で、
わりとすぐ、おうちに帰るパターンが多いです。
(1歳くらいになると、里親さんのところにいくのはOKしないおうちが多いようで。)

でも、私が見る限りですが、早くおうちに帰るのは「やらないネグレクト」の方で、
「できないネグレクト」は返してほしい親御さんと児相の平行線になって長くなっているように感じます。

確かに、端から見たら、子どもの命を預かるってことですから、
やればできる人には返せるけど、やってもできない人には返せない、っていう論理は分かります。


ただ、少し考えてみてほしいなと思います。
今の時代、なぜ早くおうちに返す方針にしているのか?なぜ施設よりも家庭がいいと言われるのか?

それは親と子で1:1…唯一無二の愛着関係が築けるからではないでしょうか…?

もちろん、家庭的な環境で育つことも大切なことですが、
今は一般家庭でも、かなり小さい時から保育園に行き、起きている時間の5~8割くらいは施設内で過ごしている子がたくさんいます。
そしてまた、施設側も、できるだけ家庭的な雰囲気に環境を整えています。

同じ児童福祉施設なのに、保育園はよくて乳児院はダメというのなら、その大きな違いは、
自分が帰る場所(心の拠り所となる親)があることだと思います。


私は乳児院に始めて勤務したとき、なんてすごい場所なんだ、と思いました。

子どもが泣いたらすかさず抱っこして対応してくれる、
日中の時間は目一杯子どもと遊んであげる(家事なんかで「ちょっと待っててね~」なんて放置する時間がない)、
ちょっとの風邪でも通院対応してくれる(鼻水ダラダラでも熱がないから保育園にGo!という我が家とは違う…)、
離乳食のステップをことこまかに見てくれる(ここまで固さとか食べ方とかこだわってなかった…)、

正直、私の子どもよりよっぽど丁寧に育ててもらっているとさえ思いました。
(ちなみに私は、子育てしていた頃はまだ看護師ではなかったので、ごく一般的な知識しかないママでした)

ただひとつ、乳児院でこれだけはできないのは、
担当が常に側にいてあげることです。
私達は仕事ですから、1日8時間勤務、週休2日、夜勤もあります。
だから、おうちの子と違って、3日に1回くらいは不在。分離も多い。

チームで養育しているので、不在の間は他の職員がみてくれますが、子どもたちにとって担当がママ代わりなら、他の職員はばぁばか親戚のおばさんくらいの存在なんだと思います。
だから、施設よりも家庭で毎日愛情を注いでもらって育つことが子どものため、と言われてしまうとぐぅの音も出ません…

つまり、施設からおうちに帰る意義は、いつでも自分だけに愛情を注いでくれる人の元で育つこと、なのだと思います。


熱く語ってしまいましたが、結局、何が言いたいかと言うと、
育児手技ができるから、なる早でおうちに返す、できないからおうちには返せない、というのは、
おうちに帰る意義を履き違えているのではないかな、ということです。

手技が不十分でも愛着の育っているおうちこそ、ヘルパーさんや保育園などの支援を入れてなるべく早く帰るべきで、

育児手技ができても愛情をしっかり与えてもらえてもらっていなかったおうちには、
家の中で親御さん自身が抱えている問題が完全に解決できるまで丁寧にアセスメントと支援をしてあげないと、
結局その子は児相と家庭を行ったり来たりすることになると思うのです。

しかも、ここまでネグレクトで育った子どもの膿を出してあげるというのは、養育者にとってかなり大変なことです。
一人で遊べてるからいいや、とか、泣かないからいいやといって関わりが薄いまま育ってしまうと、
将来どこかで爆発してしまうかもしれません。

現場で見ていると、そこのアセスメントをしているのか不安になることがあります。

(保育園に通わせればおうちに返しても大丈夫、みたいな…保育園でそんな愛着形成の支援ができるのか…あっと、これ以上はタブーですね。)

(そもそも保育園に入れる=保育園に通えるでもないですのでね、高齢者のデイサービスのように送迎でもしてくれない限り。)


ちなみに、施設だって、担当がいない時間があるとはいえ、愛着関係が育たない訳ではないです。

子どもにとっては担当は本当に特別な人で、
不思議なものですが、生後半年満たない赤ちゃんでも、ちゃんと担当のことを分かっているんじゃないかなという反応をします。
そして分離が多いからか、後追いがとても強く出るとも感じます。

私は保育園では勤務経験はないですが、
担当との関係は、保育園の先生と園児の関係とは全く異なると思っています。

(ドラマのコウノドリでサクラ先生が子どものときに乳児院から児童養護施設に移っていくときのシーンは、涙なくしてみれません…卒園式で園児を涙で見送る担任の先生とは全く違うのです。愛着は相互関係なので。)


私は、施設の場合は、
職員(養育のプロ)がみんなで、どんなふうに関わるのがよいか考えることができるのがつよみなんだろうなと思っています。
これまでネグレクトで育ってきた子が甘えを出し始めると担当の負担がすごいですが、周りの職員がサポートできます。

親御さんが育児手技ができるできないは目に見えますが、
その子の人としての愛着形成が進んでいるのかどうかは測れない…心理士さんにみてもらうか、現場で関わって体感で測るしかないので、

本音は、単純な家庭至上主義じゃなく、もっと子どもの状態をみてほしい。施設の力を信頼してほしいなと思ったりしています。
(政治家や、社会学者や、母親側の支援者の皆さまにも…ああ、これもこれ以上はタブーですかね)

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。