いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

育児サークルを運営していて、参加するママさんたちから、


仕事もして子育てもして、それでもこれだけ活動するなんて、
本当に私と同じ24時間を生きていますか?

と言われたことがあります。
お褒めいただき、ありがとうございます。

実態は、家のなかグチャグチャですよ(笑)

お掃除や食器洗いは、主人がしてくれないかな~なんて期待して、朝、家を出てきますし、
あ~やっぱり床汚れてきた、となったらしぶしぶ掃除する。

スッキリした生活したい!と思いながら、永久に終わらない断捨離…。

それに、子育てっていっても、小学校高学年もなれば、赤ちゃんみたいに手もかからないですしね。

そもそも、仕事の日はヒーヒー言いながら、毎日ギリギリの生活です。
寝不足すぎて電車の中で起きていられないですし。

そして、休みの日にはヨガレッスンしたり電話相談や訪問看護のシフトに入ったりして、
あー、何で今日、仕事入れちゃったんだ~!
と思いながら、過ごしています。

多分、収入が今の倍になったとしても、やっぱりおんなじ生活してるんでしょうね。

まあ、少々ワーカホリックぎみなところもありますし、
その方が生き甲斐というか、一生懸命生きてる感があるのかも。

スッキリした生活したい、と言いながら、
今のように、グチャグチャしながら、儲けがなくても、やりたいことをあれもこれもしてしまうということは、
実は、本当の自分はそっちを望んでいるのかもしれません。

そんな自分はどこで作られたんだろう?と思い返すと、
決定打は、最初の子どもをお腹の中で失ってしまったことかな、と思います。

今は不妊治療が増えて、
自然妊娠でも結構な確率で流産が起こることは知られていますが、
当時20代前半だった自分には、全くそのような知識はなく、
(ドクターから、サイコロで悪い目が出たと思って諦めるよう言われました。そのくらいの確率という意味です。)

また、よくあることすぎてなのか、総合病院は忙しすぎてなのか、
そのような人への心のケアは行き届いてないんだな、とも思いました。

あの時無理してあの仕事をしなければとか、
生まれても保育園に入れてすぐに職場復帰しようなんて思っていた自分に、母親の自覚が足りないからバチが当たったんじゃないかとか、

若いときに「死にたい」とか思ったことが我が子に返ってきてしまったんじゃないかとか、

いろいろ自分を責めました。

今では、ほとんどが母体側の問題ではないと理解できますが、
それでもやっぱり、自分を責めるでしょうね。
でも、責めることは、私が心を癒すためにも必要だった気がします。

私は、若いときは少し抑うつ傾向が強く、職場のメンタルヘルスチェックに毎回引っ掛かって心配されるようなメンヘラだったのですが、

この時初めて、
自分のせいで失った命のためにも、
自分は精一杯生きなければ、
生きたくても生きられなかったその命に対して失礼だ、
と思うようになりました。

そこがきっと、今の私を動かす原動力です。
認知の歪みがあると思われた方もいるかもしれませんが。

悲しみを生きる力に変えるには、
「生き尽くすことが自分の贖罪」という思い込みを持つことが必要だったんだと思います。

稀ですが、妊娠相談でも、中絶した自分を責めて「死にたい」と相談してこられる方がいます。

相談窓口の組織としては、「中絶も女性の権利」という考えなので、
私もそういう立場で「うんうん、つらかったね」と傾聴し、「◯◯さんは悪くないですよ」とお伝えします。

もちろん、カウンセリングの技法として、傾聴、共感は大切です。
だけど、時には、「聞いてもらったって何の解決にもならない」という方もいるようです。

そもそも、流産した頃の私は、

親の都合で中絶するなんてあり得ない、と思っていたのですが、


たくさんの中絶のご相談に乗っているうちに、いつしか、
流産も中絶も、子どもにとっては、
不運にも「自分が育つことのできない環境に宿ってしまった」という点では
同じなんだなと思うようになりました。

だから、中絶したことを軽蔑したり批判したりする気持ちは全くありませんし、
むしろ、つらかったね、というのは心の底からの本心です。

でも、「もう死にたいです」と言われると、
心のどこかに、
「自分が生きていくために失った命があるのなら、自分は生きなきゃいけない。失った命が完全に無駄死にじゃないか!」
と憤る自分がいます。

自分の死は、急がなくても、いつか必ずやって来ます。
その時に、失った命の魂に頭下げにいけばいい。

そして、この世界では親子になれなくても、あの世では母として、
生きたくても生きられなかった我が子のために、せめて、
この世はどんな場所だったか、どんな経験ができるのか、
たくさん教えてあげてほしい。

そのために、死の直前まで生き尽くそうよ!
と言ってあげたい。

…と悶々と思いながら、


結論が出ない中絶後の心の痛みを、ただただ聞き続けています。

もし、同じような苦しい思いをされている方がいたら、
なにか参考になれば幸いです。

今日もブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


※中絶については賛否両論あると思いますが、流産と同じという表現に不快な思いをされる方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。
中絶を選択して苦しまれている方には、複雑な背景があることを汲んで読んでいただけると幸いです。



↑私のベビーヨガパートナーのあゆむちゃん。
亡くした子どもの名前をもらい、もう一人の我が子として一緒に暮らしています。