海老蔵さんのブログを、ここのところずっと読んでいます。
私の母は、私が11歳のときに持病が悪化して亡くなっているのですが、
海老蔵さんのブログを読むと、母が亡くなったときのことを思い出します。
そして、海老蔵さんのふたりのお子さんたちのことを思います。
子どもは、親が死ぬなんて思ってないです。
親が病気で、病状がどれだけ絶望的だったとしても、子どもは回復することを信じています。
私も、
「お母さんは今はちょっと具合が悪いけど、これからメキメキ回復して、
またご飯を作ったり、お洗濯したり、たまに怒ったり、私も甘えて、また一緒に話したり、お出かけしたり…。
とにかく、今までどおりに、元どおりになる」
と、本当に亡くなる直前まで信じていました。
信じていた、というより、疑ってすらいなかった。
かんげんくんと、れいかちゃんは、
あの時の私より、うんと幼い。
幼いふたりの目に、
あの時、私が見たのと同じ光景が写ったのかと思うと、
心が痛みます。
きっと、ママが亡くなって、
ぽかんと、ほんとにぽかんと、
「…?あれ?なんで?」
って思ったと思う。
大人たちが泣くのを、
ママの体につけられていた生命を維持するのに必要な装置が外されるのを、
混乱した頭で眺めたと思う。
そして、大きな悲しみが。
ママがもういないということが、
会えないということが、
だんだん実感として理解できてきて、
悲しさが、寂しさが。
心の奥から、猛烈に湧き上がってくる。
パパ、おじいちゃんやおばあちゃん。
たくさんの支えてくれる人たちがいて、
笑う時間もあって。それでも。
急に襲われるように、
「どうしてママにもう会えないんだろう。
なんで死んじゃったんだろう。」
と思う。
「会いたい、会いたいよ」と
願ってもしょうがないとわかっていても、
求めて、もがいて、泣いて。
その寂しさは、きっと、
かなり長い間続いて。
夜、眠るときに、ひとりのときに、
思い出して。
それでも。
時間は偉大なんです。
時間が、すべてを優しい思い出に変えてくれる。
すべてを温かい気持ちで思い出せるときがくる。
かんげんくんも、れいかちゃんも、
今は心細くて、寂しくて、
身を切られるようでも。
そして、これからしばらくは、
その凍えるように寂しい気持ちを感じるときが
続くとしても。
10年、20年、、、
時間が経てば、すべてが優しい思い出に。
そして、その間、ずっと大好きなママが
自分の心に寄り添っていてくれたことがわかる。
這うようにでも前に進んでいるうちに、
気がつけば、暗くて長いトンネルを抜けている。
生きていれば、心の中で、いつでも一緒にいられるから。
かんげんくんと、れいかちゃんが
健やかに大きくなっていくことを願って止みません。
ママの分まで、うんと大きな幸せがやってきますように。
海老蔵さん、悲しみの中、
みんなの幸せを願ってくれて、ありがとう。
麻央さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。