「九死に一生」を得ながら90歳の現在でも第一線で活躍し続ける黒柳徹子さん。
子供の頃、結核性股関節炎で生涯普通歩行ができない危機に遭遇した。
終戦前に戦地に召集された音楽家のパパが日本に帰還できたのは戦後4年経った昭和24年。
その間、トットちゃんと家族は東京大空襲のあと、東京から青森に疎開。
疎開先の青森は、時々りんごを送ってくれる親戚でもない小父さんがいただけ、
お母様の活躍が凄い!!ラブラブ
そして、疎開先で北海道に住む祖父が亡くなったあと祖母の面倒まで見た。

トットちゃんたちが北海道の祖母を迎えに行って、青森駅で足止めされた。

青森駅で明日の始発を待つと言うお母様を説得して、途中までしか行かない汽車に乗ったトットちゃん家族5人。

その日昭和20年7月28日に青森空襲があった。

終戦になっても青森県で過ごしていた時に月始めにしか買えない通学用定期券を川に落としてしまったトットちゃん。
一番近い通学方法と考えて線路を歩いて鉄橋で貨物列車に遭遇した時に、

線路下の枕木にぶら下がって長い長い列車通過に耐えたガーンびっくり  えー

猿 猿 猿
NHKに入ってからの異端児トットちゃんは才能無しとあきれられたり、

個性的と認められたりの話はクスクス笑いながら読んだ。

小学校退学(窓際のトットちゃん)もNHK入社過程も爆  笑 ニヤリ

トットちゃんの個性を評価してくださった方々の《先見の目》に流石びっくりと脱帽。

16歳の学生時代に占い師さんに手相を見てもらった時、

「結婚はとても遅いですよ。お金には困りません。あなたの名前は津々浦々に広まります」

と言われたよのことですウインク (当たってますねルンルン

ショボーン
NHKのテレビやラジオの仕事があまりに忙しくダウンして入院。
お医者様に「病気にならない方法」を聞いたら、
「嫌だと思う仕事をしない」との返事をいただいた。

照れ 

分刻みで入っている仕事から離れて、好きな仕事を選べる人になるためにも、
アメリカに演劇の勉強に行く選択をした黒柳さん。

帰国後は好きな仕事を選んで続け、その仕事でも、その存在感でも、
今の90歳でも第一線で活躍する「黒柳徹子」がいる。

戦争体験は、明るく前向きなトットちゃんにも辛くてたまらないことが沢山あった。

何回も九死に一生を得て今がある。
だから、今、世界の各地で起きている戦争で辛い思いをしている子供たちを思って、
「続・窓際のトットちゃん」を書いたとのこと。