日本に帰ってきて僕は、実家から遠い完全寮制の学校に入学した
その学校は技術職になる人を育てるような専門学校で5年制である
ホームシックなんて言葉は、僕の辞書にはない
すぐにでも出たかった。
実家には
宗教にハマり、元々悲しみを癒す為に教えを学びに行ったはずなのに、毎日拝むことと広めることが目的になってる叔母
年齢なのか不摂生なのか脳梗塞を患って床に伏せる祖父
医療ミスで幼少から立ち上がることもできずに一生を過ごす40の叔母
そして、介護する母
中学の僕にも、壮絶さは感じていた
なんか普通じゃないよな
和気藹々とした食卓は憧れだ
カオスとゆう言葉は
こうゆうことなんだろうなと、密かに思っていた
ウィーンから早く日本に帰りたいと思っていた僕だけど、中学生の僕には、この家を出たいとそれ以上に思っていた
母の手伝いができれば
世間体的にはよかったのかもしれない
時折感じる罪悪感のような気持ち
何かしたわけではない
何もしなかったわけでもない
そう感じたくない気持ちが、
自分の自立へのモチベーションを高めた。
僕は医者が憎かった
全ての発端は
叔母が5歳の時に医療ミスで植物に近い状態になってしまったことだと思っていた
ウィーンに9年とゆうのは、
親父の転勤だったけど
ある意味それがなかったら、
視野が狭く、悲劇から一生脱出できなかったかもしれない
出たい
自立心だけが先行した
受験が終わり、
合格発表までの時間は、
毎晩布団の中で祈っていた
滑り止めで受けた学校は、実家の近くだから
実家通いを余儀なくされる
それだけは避けたかった
合格発表の時の喜びは今でも覚えている
やっとこれで自由だ!!!
大人になって
「15から一人暮らし」とゆうフレーズを言うと
なんだか苦労人なんだね。
とゆう雰囲気が出るけど
僕にとっては、最高でしかなかった。