アラームをセットせずに寝ると朝が戦争です。時間との。
朝一番に声にならない悲鳴と共に上がった開戦の狼煙。
溢れる焦燥感と底をつく血圧。
ふらつき向かう洗面所は既に第三勢力『父』の手に。
詰め込む食パン猛る咽。
流し込むコーヒー焼け付く舌。
駆け込むトイレ行方知れずの紙。
着替え10秒歯磨き10分。
締めたネクタイ首吊り自殺。
開け放つ扉と流れる雲。
凍てつくサドルは伏兵か。
走れメロス。もう時間が無いぞ。
あ、おはようございます。
出発五分で自転車を止め、地下鉄という反則的裏技で勝利しましたので、余韻に浸りながらブログです。ふははは、時間なんて金で買えばいいんだよ。
さて。
先日、図書館戦争という本について書きましたが、その際にちょろっと名前を出した作品について。
『レインツリーの国』
きっかけは「忘れられない本」そこから始まったメールの交換。あなたを想う。心が揺れる。でも、会うことはできません。ごめんなさい。かたくなに会うのを拒む彼女には、ある理由があった―。
アマゾンからの引用です。そもそもアマゾンに記載されているもの自体引用みたいですが。
この作品は、図書館戦争の続編、図書館内乱の作中に登場する一冊の本を実際に、有川浩さんが執筆されたものです。
健聴者である彼と中途失聴者の彼女が、一冊の本の結末についてネット上で感想を交換したところから物語が始まります。
もともと図書館シリーズから読み始めたため、興味本位で買ったものですが、その内容が素晴らしくて。
私自身は健聴者で、また、耳の障害について人一倍知っているというわけではないのですが、「耳が聞こえない」「聞こえにくい」で一まとめにされがちな耳の障害について、しっかりと調べ、理解した上で真剣にこの作品を書かれたのではないかと感じました。
ぜひ色んな方に読んで頂きたい一冊です。
読めば、耳の障害のことが分かるとか、ハンデを持つことの苦痛が伝わる、なんてことは言えませんが。小説ってそもそも読む人によって感じることは色々ですし。
ただ、この作品を読むことで何かしら得るものはあると感じたためのご紹介。
とりあえず、ここは私が感じたこと、そこから考えたことについて少々。というか長々と。
念のために、ですが、障害や社会の在り方などという頭ひねっても答えのないような話ではないです。そこに至るのはもう少し成長してからということで。
さて、この「レインツリーの国」
著者である有川浩さんの作品の中でも特に好きな作品です。
しかしながら、ブログで書こうと思いつつ、これまで書いてなかったもの。
理由は作品の内容が少年少女のラブ&コメディを描いたライトノベルではなく、社会人の恋愛模様であること。
そして、主人公の女性が感音性難聴であること。
これまで、ちょっとは本を読んできて、登場人物が何かしらのハンデを抱えている作品はありました。
ただ、それらの作品について感想を言葉や文字にしたことがほとんど無く、要するに経験値と度胸が全くもって足りなかったわけで。あ、今も無いですけど。
知識の無い人間が使う言葉は読む人によっては刃物のように刺さると思いますし、殊更明確な弱点(嫌な言い方です)として用意した的に、当たる当たらない、と矢を射つような行為に思え、しかもそれを自覚もなく、あるいは同情混じりにやってしまいそうでビビってしまってたんです。
とはいえ、上で括弧内に書いたように、弱点と捉えている時点で、内心では見下してるんじゃないかとか、そもそも書くことに勇気を必要としている意味は何なんだとか考え出すと、もう何が正しいのやら。
『“障害を持ってたら物語の中でヒロインになる権利もないんですか”って台詞はその通りって感じやな』
ボクがレインツリーの国を読み終わった頃、図書館シリーズを貸した(かなり薦めた)友達の感想です。
同意しながら、内心苦笑い。
正直なところ、今まさにどう書こうか彷徨っておりますです。言葉って難しいね。
思いのまま書けばいいんだし、別に悩むようなことでもない。と、言われればそれまでですが、なかなかねえ。悩み多きお年頃なのです。
結果、訳のわからん一日の始まりから筆不精の言い訳までつらつらと並べているわけで。不甲斐ない。
レインツリーの国の中で、『彼女たちは、耳が不自由な分だけ、言葉をとても大事にしているのだ』という文章があります。
この言葉がとても好きです。
言葉は自身の考えを示すもので、考えは思いで、思いは心で。
心は自分にとって、他者に見せたいところも、見せたくないところも含んでいます。
軽々しく発言するっていうのは裸で外に出るようなものなのかも。
恥ずかしくないようにしたければ、身なりも言葉もTPOに合わせることが大事です。
仕事の時は言葉にスーツを着せて。友達と遊ぶならカジュアルな言葉で。好きな人と会うならほんのちょっぴりお洒落な言葉で。
言葉を使いこなせる人が魅力的に見えるのも、服装に気を使っているような感じなんですかね。
とはいえ、裸で公道を突っ走ってたら間違いなく大仰な名前の罪状で捕まりますが、言葉はどんなに恥ずかしいことを言ったところで、誰も止めてくれませんし、ただの「変態」で終わりです。別に本人が困るだけですし。
問題なのは、凶器になること。
言葉は見えません。目の前の人が開口一番に言うことなんて分かりません。
でも私たちは自分の言葉の陰に常にナイフを隠し持っていて、それは故意に使うことも、無意識に使ってしまうこともあります。それも相手に届くかどうかも分からない長さのナイフを。
軽く振っただけでそれは相手の心に届くかも。ほんの少し刃が触れただけで、それが相手の心のヒビを突いてしまうかも。
危ないものがあれば人は安全な距離を空けますよね。それが心であっても。
だからこそ優しく温かい言葉を使いたいもんです。
言葉で恥をかいて、言葉で人を傷つけて、でも言葉で温かくなって。
言葉は私たちの心にとても近いところにあるんでしょうね。
魔法なんてものが現実にあるなら、それは文字や言葉が持っている力かも、なんて夢見なことを言ってみるのも面白いかも。
ただの音。空気の振動。それが耳に入って、鼓膜を震わすだけなのに、ただ一言の魔法が体を暖めてくれたり、気持ちを奮い立たせてくれた経験は皆さんあると思います。
その言葉と、その意味を知っていればどんな人でも魔法使いになれるんです。
暖めてあげましょうよ。笑わせてあげましょうよ。元気にしてあげましょうよ。
言葉を正しく使うのではなく、優しく使えるように。友達が、家族が、何より私自身がそうなれるように願い、頑張ります。
と、まあ、たかだか本一冊読んだだけで感化されすぎな気もしますが、普段は考えないような、物事のあり方を考察するきっかけを本から得られたと思いますので、何はともあれ『レインツリーの国』オススメですよ。
本の紹介ほとんどしてねぇ。