恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる。

          ー  ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク  ー






「ママー!ばぁばがね、買ってくれたの!ほらー?うさちゃん、可愛い可愛い!」


帰宅すると、春風が10cmほどの茶色いウサギのぬいぐるみを自慢げに見せてきた。



私「きゃー!可愛いねぇ可愛いねぇ!お名前付けた?」

春風「みーちゃん!耳がね、耳が長いからみーちゃん!」

私「みーちゃん!可愛い名前でちゅね~」

春風「みーちゃんと一緒にお風呂入るのー!」

私「おお!そっか!じゃ、洗面所にみーちゃん座らせよー!
入りたいってみーちやんが言ったらね?無理やり入れたら熱いよーってびっくりちゃうかも!」

春風「そうそう!みーちゃん熱くないもんねー?」



私はみーちやんを奪って、横にフリフリした。



私「みーちゃん熱いの怖い!水に濡れるのも怖い!お風呂の前で待ってるぴょーん」



みーちゃんをフリフリさせながら春風の頬にくっ付けたら、春風はキャハハハッとくすぐったそうに笑った。

天使だ。

春風は天使だ!

こんなにも私を幸せにしてくれるのは、春風しかいない!



大志「おかえりー!病院なんだって?」

私「あ、ちょっと精神安定剤強くしてもらっただけ!大したことないって!」

大志「そっか。じゃいっぱい出来るな!」

私「……」



……出来るって。

また、夜の話か。

私の体調なんて心配しないのか…。

まぁ、体調悪化というのは嘘だけどさ。



私「お義母さんはもう帰ったの?」

大志「俺が帰ったらすぐ帰ったよー」

私「そう。あ、カレー美味しかった?」

大志「んまかったよー」



私はテーブルの上のお皿を見た。

私が昨日の夜から煮込んだカレー。

温めて食べてくれたのはいいけれど

食器ぐらい水につけてて欲しかった。

カピカピに乾いてると、落ちにくくなるじゃない。

カレー鍋の火を点けて、お玉でかき混ぜて温め直した。



春風「ママーまんま食べるのー?」

私「食べるよー!春風、カレーが温まるまでお口ぐちゅぐちゅピカピカしよっか!」

春風「うん!みーちゃんも一緒に!」

私「大志、ごめん。歯磨きさせたら春風お風呂に入れてもらえる?」

大志「えー?まぁいいけど。今いいとこなのに」



ソファーに横になって、テレビを見ながらいかにも「めんどくせぇな」って声のトーンで答えた。



春風「しゅんかちゃん、ママとお風呂入りたい~」

私「……そっか。じゃ、ママ急いでカレー食べるね!」



春風を歯磨きさせて、私は大急ぎでカレーを流し込み、バタバタとお風呂に入った。

あ、洗濯機回さないと明後日から雨予報だ!

明日は15時上がりだから、仕事行く前、朝イチで干しちゃおう。

春風と一緒にお風呂は楽しい。

だけど、春風を寝かせてから……

ふと、漠然とした不安感が私を襲った。



なんで、私だけこんなに大変なの?

なんで、手伝おうとしてくれないの?

なんで、家事全部私がやるのが、当たり前なの?

なんで、ありがとうと言ってくれないの?

……なんで……

いや、それは「甘え」だ。

大志は働いてるんだ。

私より給料は多いし……。

休みも、私より断然多いけど。



春風を寝かせて、食器洗いをしようとキッチンへ向かう。

ゴロゴロしながらテレビを見ていた大志が起き上がって、突然バックハグしてきた。



大志「やろ?」

私「……待って。洗い物終わらせてから」

大志「いいじゃんそんなの明日で」

私「明日?大志やってくれるの?」

大志「こんな少ない量だから愛美が出来るでしょ」

私「こんな少ない量なんだから洗い物終わるまで待てないの?」

大志「待てなーい!」



大志がお尻を撫で回して、スカートを捲りあげる。

……ムカつく。

いや、ムカつくなんて思っちゃいけない。

私は今、幸せなんだから。

幸せに、生活させてもらってるんだから。

食器洗いも途中のまま、寝室へ連れ込まれた。




私「あのさ、もし私が仕事辞めたらどうする?」

大志「え?許さない」

私「……」

大志「働かざる者食うべからず!でも転職なら大賛成だな。男がいない職場!女しかいない仕事ないの?」

私「キャバ嬢とかじゃん?」

大志「バカ言うな!客は男だろ!客も女がいい!」

私「……じゃ、ネイリストとか?」

大志「お!いいじゃんそれ!男は爪やったりしないもんな!愛美ネイリストになれよ!」

私「給料下がるよ、たぶん。社員でもボーナス出るかどうかわからないし」

大志「給料下がるのは勘弁だな。てか、もう一回…」

私「ちょ、待って?ほんと痛いの!生理前だからか痛いの」

大志「いいじゃんどうせ、明日早上がりなんだろ?」

私「……!」



キレそう。

早上がりとはいえ、残業あるのに。

大志は明日休みのくせに、洗濯物も絶対干さない!

……だめだ。

キレちゃだめ。

喧嘩してる両親の元で育てられたら、春風が可哀想。

夫婦仲良くしていないと……!

そう、生理前だからイライラしてるんだ。

男の大志には、生理前のイライラなんてわかるわけがない。

だから

私が我慢しないと。

私はぐっと、目を閉じた。




……ヒリヒリと、痛い。

絶対やり過ぎだ。

そもそも、もう濡れなくなってる。

だからこんなに痛いんだ。

私にとって、セックスは「義務」になっていた。

大志を求める気持ちは、皆無だった。

生活態度を見ていても、どんどん気持ちは冷めてくる。

不潔感丸出しで、髪の毛も何もかもが汚い。

お酒も飲みすぎで、まだ若いのにおなかも出てる。

更に結婚してから13kg太った。

いや、もっと太ったのかもしれない。

もう今は体重すら教えてくれないから。

私への態度も。

偉そうだし、家事も手伝ってくれないし

お菓子もコーラも、ゴミすら捨てない。

靴下は脱ぎっぱなし。

加齢臭もひどい。

なのに、体だけは求めてくる。

もう、私は大志を

全く男として……いや、夫として

同居人としてすら、見れなくなっていた。

そして、それを思う度に、罪悪感を覚える。

それが「結婚生活」だと。

我慢することが、真の結婚生活だと。

結婚とは

「忍耐」だと。

だけど、ふと思うのだ。

私は記憶を失っている。

だから、大志と結婚したいと思った記憶も

大志を愛してると思った記憶も

何もかも、なかった……。