愛してもいない男に言い寄られるときほど、女が残酷になれることはない。

                                                ー  サマセット・モーム  ー





新しくオープンしたカフェ。

目の前にいる男は、それはそれは絵になるほどイケメンであった。

オープンしたばかりだからだろう。

カフェはここが田舎の駅とは信じられないほどに混んでいて

広い席に座りたかったのに、もんのすごく狭い二人席に案内された。

ちゃんとあたしをソファー側に座らせてくれるところはジェントルマンである。

さすが韓国の男の人。

女の人には紳士だ。



ジェイル「凄い可愛いカフェですね!ここの抹茶シフォンケーキ狙ってたんですよ!」

あたし「めっちゃ混んでるね…あたし混んでるカフェ苦手なんだよね」

ジェイル「日本人女性は本当に優しいですよね」

あたし「どこがやねん!」

ジェイル「韓国の女性と全然違うから」

あたし「今ジェイルが連れてきたカフェの文句言ったんだよ!?それのどこが優しいの!?」

ジェイル「別に不満なんて誰でも言うじゃないですか?僕はそれに対して優しいとは言ってないですよ」

あたし「あぁ、あたしと同じタイプだ。相手の話に対してじゃなく、その時に考えてる心の声が勝手に出てきちゃうやつ」

ジェイル「え?よくわかりません」

あたし「か、会話のキャッチボールしよっか。
なんで日本人の女は優しいの?」

ジェイル「怒らないからですよ」

あたし「怒るよ?普通に」

ジェイル「そうですか?沢田さんが怒ったところ見たことないですよ」

あたし「そぉ?単にジェイルがあたしを怒らせるような事してないからじゃない?」

ジェイル「他の日本人女性も怒らないですよ。韓国の女の子はヒステリックにすぐギャーギャー騒ぐし」

あたし「そお?韓国ドラマ観てる限りではそんな感じしないけど。ゆうてそこまで韓国ドラマ観てるわけでもないけど」

ジェイル「ドラマはドラマですから。現実は違います。気が強くて自己主張強くてヒステリックな女の人が多いですよ」

あたし「そうなんだ。おとなしくて可愛い子ばかりなイメージがあったよ」

ジェイル「沢田さんと新大久保でデートした日…僕が狭そうな席に座ろうとしたらこっちに座りなって言ってくれたし。
何食べたい?ってメニューを先に見せてくれたし。
水をコップに入れてくれて先に僕に渡してくれたし。
美味しい!って笑顔で食べてくれたし。
沢田さんのいい所キリがないですよ」

あたし「ごめん。それ当たり前でしょ。あたしだけじゃなく全員やってることだし」

ジェイル「それを当たり前だと思ってるところが優しいんですよ」



まあ、日本人は海外の人からは優しいと言われてるもんな。

メニューを見たら、コーヒーが単品で550円だった。

ケーキセットにすると、1000円か。

ケーキも600円前後。

なかなかのお値段だ。



あたし「決めた。ベイクドチーズケーキとホットコーヒーのセットにしよ!」

ジェイル「……は、早いですね」



HALと同じような事を言われた。

ジェイルもメニュー見ながら、物凄く悩んでいた。

ジェイルでも悩むんだ。



ジェイル「僕は……アイスコーヒーにします」

あたし「あれ?ジェイルさっきケーキ食べようとか言ってなかったっけ」

ジェイル「いや……やっぱりそこまでお腹すいてない事に気がついて」

あたし「そか」



オーダーをして、ジェイルはモゾモゾしたかと思うと



ジェイル「トイレ行ってきますね」

あたし「おけ」



急いでトイレへと向かった。

ジェイルが立ち上がった瞬間、あたしの足の上に何かが当たった気がした。

狭いから隣の人に当たらないように必死で縮こまりながらテーブルの下を見ると

ジェイルの長財布があたしの足元に落ちていた!



あたし「あ!ジェイル財布落としたよ!?」



顔を上げると、もう既にジェイルの姿は消えていた。

他の人に当たらないようにそっと立ち上がって

椅子を後ろに引いて財布を拾った
長財布は開いた状態で落ちていた。

……何か、違和感を感じた。




めちゃくちゃ薄い。

そして開いた状態で取り上げたから

お札の入ってるところが見えた。

開いて中を覗いたわけではない。

千円札が、二枚しか入ってなかった。



あたし「……所持金2000円?」



これで、このカフェであたしに奢ろうとしてたの?

小銭にはいくら入ってるかは、チャックで閉まってるのでもちろんわからない。

だけどこの財布の薄さと重さから

小銭も大して入ってないだろう。

あたしが頼んだケーキセットは1000円。

ジェイルもケーキセットを頼んだとしたら、1000円。

合計2000円……。



彼の財布の中のお札が、ゼロになる。

電車賃はまぁ、Suicaぐらいは持ってるだろう。

電車賃はなんとかなるにしても

お札ゼロは怖くないか……?

それに予備校生で、あたしがスーパーのバイト辞めたらジェイルも辞めた。

ハローワークに来てまでバイト先探してるぐらいだから

今はきっと、あたしと同じく収入源がないんだ。

……バカ。

なんで奢るとか言ったのよ。

確か抹茶のなんとかを食べたいとか言ってたよな。

ジェイルがトイレに行ってる隙に、急いで店員さんを呼んだ。



あたし「あの、さっきの単品で頼んだやつ、ケーキセットに変更して下さい!」

店員「かしこまりました。どのケーキにしますか?」

あたし「抹茶のケーキってありますか?」

店員「あ、はい。抹茶シフォンケーキですね」

あたし「抹茶のケーキってそれだけですか?」

店員「はい」

あたし「じゃ、それで!」

店員「かしこまりました」



本当にジェイルってバカ。

記憶力めちゃくちゃいいから物凄く頭がいいのかと思ったけど

このカフェのメニューの値段は調べてなかったのかな。

いや、調べてるだろう。

あたしと偶然会うとは思ってなかったからだ。

元々ジェイルは一人でこのカフェに寄って帰るつもりだった。

2000円持ってるなら、自分だけなら1000円残る。

予想外にあたしに会ってしまって

あたしとカフェ行きたいがために、奢るとか言って誘ったんだ……。



ジェイル「お待たせしました!トイレめっちゃ並んでまして!」

あたし「カフェのトイレって混むよね。あ、ジェイル財布落としたよ!」

ジェイル「え!」



あたしはしっかりと長財布を閉じて渡した。



ジェイル「ありがとうございます……」

あたし「大丈夫大丈夫。中身見てないから」



ジェイルは心底ホッとした表情で、財布を受け取った。



そして、オーダーしたケーキとコーヒーが届いた。



ジェイル「え?あれ?僕ホットコーヒーしか頼んでませんけど!?」

あたし「あ、ごめん勝手に頼んじゃった!」

ジェイル「ええ!?」



あたしは不安げな店員さんに「大丈夫です」と合図して、下がってもらった。



あたし「抹茶のケーキ食べたいって言ってたじゃん」

ジェイル「いや、でも……」

あたし「食欲ないならあたしが食べてあげる」

ジェイル「いや……」

あたし「あ、自分の分は自分で払うから。あたしジェイルがうちのスーパーにバイトに来た時歓迎会とかしてなかったでしょ。
なのにジェイルに送別会で奢らせるなんておかしいでしょ。てか早く食べよ!
外にもお客さん凄い並んでるよ!」

ジェイル「え……あ、はい……」



実は本当に早くここを出たかった。

混んでるカフェは、とっても苦手なのだ。

それに、あたしの事を好きな、こんなキラキライケメン男子とサシでカフェなんて

HALに対しての罪悪感が大きい。

ジェイルには申し訳ないけど、サクッとお茶してサクッと帰りたかった。

ろくな会話もせず、一気にケーキをたいらげて

コーヒーも一気飲みした。



ジェイル「あー美味しかった!沢田さんも食べるの早くなりましたね。バイトの時の休憩中、お弁当食べるのに35分かかってたのに」

あたし「……時間測ってたの?」

ジェイル「時計見たから覚えてただけですよ」

あたし「ホントに物凄い記憶力だね……」

ジェイル「普通ですよ」



そっか。

ジェイルにとって普通ならば、普通なんだ。

レジに行き、2000円札を出して小銭を漁ってるジェイルを横目に

「会計別で」と言ってあたしは1000円出した。

ジェイル「いやっ、ちょ、奢るって」

あたし「あー、じゃ今度よろしく!次回は青山の高級カフェ奢ってもらう!」

ジェイル「え!?」



これでジェイルの男としてのプライドは守られただろう。



ちゃんと自分の分は支払って、カフェを出た。

駅構内を見ると

由美が誘拐された時に呼び出された時

一人で行っていた、Tully'sが遠くに見えた。

……由美。

あたしの、妹……。

あの時は、由美は風に冷たいからと

そこまで由美の事を心配してなかった気がする。

あたしって思いやりのない人間だな……。



ジェイル「ごめんなさい沢田さん。奢るって言ったのに…」

あたし「いや、大丈夫。あたしもこのカフェ気になってたし美味しかったもん」

ジェイル「でも、青山のカフェ……楽しみです!
その時は奢りますね!いつにします!?」

あたし「あー……あたしが彼氏と別れたらね?」

ジェイル「え!?そ、それはひどくないですか……楽しみにしてたのに……」

あたし「ま、いつかね?あたしが今カレと別れなかったら一生行けないけど」

ジェイル「……沢田さんって意外と性格悪いんですね」

あたし「んもー!性格は悪いけども!所持金2000円で奢るとか言うあんたもあんたでしょ!」

ジェイル「え!?」

あたし「狙ってた抹茶シフォンケーキ食べれなかったらあたしのせいじゃん!
恨まれてジェイルの念があたしに取り憑いたらやだったから!」

ジェイル「……財布の中身見たんですか……」

あたし「ごめん。見えちゃった」



これでジェイルはあたしに冷めただろう。

自分の財布の中身を勝手に見る人間なんて、非常識極まりない。

これでいいんだ。

気を持たせるような事をしてはいけない。

非常識な女だと冷めてくれたら、それでいい。



あたし「ごめん。明日朝早いからもう帰らなきゃ。ジェイルも気をつけて帰ってね!」



立ちすくむジェイルに手を振って

あたしはさっさと歩き出した。

傷つけてしまったかな……少しだけ、胸が痛む。

勝手に財布の中身見られたら、あたしだったらムカつくもん。

いや。

好きな人に見られてて、「お金少な!」と思われたと思うと

ムカつくというより、とてつもなく恥ずかしい……。



スタスタと歩いていたら

いきなり、後ろから誰かに羽交い締めにされた!



あたし「……ひっ!?」



少しだけ振り向くと、ジェイルだった。

ジェイルにバックハグされていた。



あたし「な!?」

ジェイル「……ました」

あたし「な、なに!?」

ジェイル「……もっと沢田さんのこと好きになりました」




まさかの、逆効果だった。