笑いを伴わない行為の中で、セックスが最も楽しいものだ。

                                                            ー  ウディ・アレン  ー







彼は、楽器を奏でる。

恐らくそれは、エレキギターだ。

東京ドームで、たった一人の観客の前で

彼はあたしというギターを激しく演奏している。

表情はまさに、ロッカーだ。

とんでもなく、カッコイイ。

激しく荒く、なのに優しく……

あたしという楽器を、奏でた。

だけどもギターはその観客が気になってしまい

音を出すことを拒否していた。

彼は、演奏を終えた。




たった一人の観客は、ステージを見ていなかった。

狭いホテルの一室の一人がけのソファーに座り

耳にはワイヤレスイヤホンをして、スマホをいじっている。

何か別の音楽を聴いているのだろうか。




HALはあたしの中から出た。

あたしは呆然としていた。

そのおかげで、ティッシュを取ってあげる事も出来なかった。

いつもなら取ってあげるのに……。

HALは取りにくそうに頑張ってティッシュを取り

自分のをさっさと拭いて、また腰にタオルを巻いて立ち上がった。




アキラ「ん?終わった?」

HAL「終わりましたよ」




なんなんだこの兄弟は。

こんな事、日常茶飯事なのか?

そう思えるほど、二人とも普通だった。



HAL「先にシャワー浴びてきますね」

あたし「……」



うんうんと、頷くことしか出来ない。

声が出ない。

兄の前で、彼女と愛し合う?

やはりHALは感情のないロボットなのか?

アキラはイヤホンを耳から外し、グッと伸びをした。



アキラ「意外と早いんだな」

HAL「兄さんのせいですよ。いつもは長いです」

アキラ「またまた~」

HAL「愛美さんの着替え、見ないでくださいね」

アキラ「見るかアホ」



HALはバスルームへ入って行った……。



アキラ「HALって早漏なの?」

あたし「な……」

アキラ「こんな早いんじゃさすがにお前も欲求不満だろ」

あたし「いや、本当に今日は……史上初ってぐらい早い……」



やっと言葉が出たと思ったら、

一発目がこんな言葉なんて。



アキラ「まさかセックス中とは。邪魔したな」

あたし「本当だよ……」

アキラ「だけどそんな時になんでドア開けたんだ」

あたし「いや、それこっちのセリフだし」

アキラ「やっぱそっかぁ。涼子の時の復讐かな」

あたし「涼子!?あのキャバ嬢涼子!?」

アキラ「……」

あたし「涼子の時もHALはアキラにセックス見せたの!?」

アキラ「しっ!声がデカイ。逆だよ逆。俺が見せつけてやった」

あたし「は……!?」

アキラ「HALと涼子の関係を知って、俺がHALをこの時間に部屋に来いって合鍵渡した。
先に部屋に入ってろって」

あたし「……み、見たの……?」

アキラ「もちろん。何の躊躇いもなく部屋に入ってきて、俺が涼子をめちゃくちゃにしてるのを見せた」

あたし「HALは……キレたの……!?」

アキラ「いいや?普通に目撃して、そのまま出て行ったよ。待てって声かけたのに」

あたし「そ、そりゃ普通は出てくでしょ……あんたみたいに居座る方がおかしいぐらいよ……」

アキラ「逆に涼子の方がブチ切れて大変だったけどな」



アキラは自虐的な笑顔を浮かべた。



アキラ「涼子はHALの方を愛してたから……まさかHALに見られるなんて思わなかったらしい。
いきなりブチ切れて、あんなに気持ち良さそうに喘いでたくせに豹変して、俺殺されるかと思ったし」

あたし「そ、そりゃ……そうなるね……わざとなら」

「わたしは別に何とも思いませんでしたけど」




HALの声に、アキラとあたしは凍りついた。




アキラ「シャワー浴びんのも早いな……」

HAL「……」

アキラ「あの時何とも思わなかったって?あの頃はシオンだったはずだが」

HAL「わたしは何とも。涼子のこと何とも思ってなかったし。単に兄さんが俺のものを奪って見せつけてただけなのかと」

アキラ「ふっ……」

HAL「俺が怒り狂うのを楽しみにしてたと思った。なので無反応を決め込みました」

アキラ「俺の方が奪われたのにな」

HAL「残念でした。愛美は俺のもの。兄貴は愛美に手を出すな」

アキラ「兄貴?」

あたし「し、シオン……?」

HAL?「…………」

アキラ「いつからシオンに替わった?今か?それとも」

HAL?「替わってない。今は昔のように、両方いるし」



グラデーションだ。

今、完全には交代しきっていない。

あたしにもこの経験は何度もある。

今はシオンが話してるけれど

HALの意識も完全に消えてないんだ。

HALも、見てる……!



アキラ「まぁ、どっちにしても奪おうなんて思っちゃないさ。愛美に飽きて、捨てる時は俺にくれと言った、あの時と同じ気持ちだし」

シオン「で?それよりなんで兄貴はこの部屋に来た?」

アキラ「いや……愛美が記憶おかしくなってんのかなと思ってさ」

シオン「おかしいね。俺と恋人同士みたい!とか言っちゃってるし」

アキラ「は?」

あたし「……」



シオンは冷蔵庫からビールを取り出した。



今は完全にシオンだ。

HALがビール飲むところなんて、見たことがない。

いつも、シャンパンかワイン、ウイスキーなのに。

しかもグラスにもいれずに、缶のまま一気飲みした。



アキラ「おいおい。レンタカー借りたんだろ。
飲酒運転になるぞ?」

シオン「え?あぁ、どこ行くんだっけ」

アキラ「通天閣って言ってなかった?」

シオン「誰か他の人に運転させればいい」

アキラ「まぁ佐藤と間宮いるしな…」

シオン「レンタカーなんて面倒だからタクシーで行くか」

アキラ「いやいや……もう借りちゃってるし……」

シオン「駐車場とか探すの面倒じゃん」

アキラ「た、確かにそうだけどさ」



シオンは本当に、HALと全然違う。

もんのすごく軽い男だ。

後先考えない……若い男の子、って感じ。

まぁ、HALにも若い時代があったのだろうけども。

アキラはこのシオンと昔は仲良い兄弟だったわりに

とても困ってる様子が見て取れた。

HALという別人格が出来て、アキラと一気に仲が悪くなった。

なのにアキラも成長して……

別人格のHALのほうが、安心して一緒にいられるのかもしれない。




シオン「愛美、早く着替えなよ。風邪ひくよ」

あたし「へっ!?いやいや、アキラいるし!アキラちょっと向こう向いててくんない!?」

アキラ「見ねーよ。つかさ、お前記憶大丈夫なん?」

あたし「わ、わかんない……記憶なくしてたとしても記憶がないから記憶なくしてますなんて思わないし……」

アキラ「ステーキ屋の事は思い出せないの?まだ」

あたし「うん、ステーキ本当に食べたの?それは覚えてないからもう一回食べに連れてってよ!」

アキラ「……二度と俺に会いたくないって言ったのに?」

あたし「は?いつそんな事言った?」

アキラ「やっぱダメだな。交代してる時だけじゃないみたいだ」

あたし「ちょ、ダメだなとか言わないでよ!あたしがダメ人間みたいじゃん!」

アキラ「ダメ人間だよお前は」

あたし「はあ?」

シオン「兄貴ってそんなにガキだったっけ」

アキラ「は?」

シオン「好きな女にそんな態度取らなかったのに」

アキラ「……好きな女?」

シオン「そう。一応女には紳士だったくせに」

アキラ「ヤレそうな時だけな。俺は女を本気で好きになったことはない」

シオン「お!俺と同じじゃん!涼子の事も?」

アキラ「涼子は……まぁ、気の迷いってやつだな」

シオン「確かにな。涼子は全然いい女じゃなかったしな」



……なんだこのクズ男の会話は。

二人とも蹴り飛ばしたくなった。

だけどこれはシオンだ。

HALじゃない……。

とはいえ、このシオンは昔のHALそのものなんだ。




そう思うと、本当にあたしは

このシオン……いや、HALのことを丸ごと愛せるのかと

少し不安に思っていた。