最も大事なのは、まだ誰も見ていない物を見る事ではなく、誰もが見ている物について、
誰も考えた事がないことを考える事である。

                          ー  エルヴィン・シュレーディンガー  ー






20??年 ?月?日




あたしは

牢屋の中に、いた。

両手両足は、拘束されている。




目の前に、白衣を着た

白髪のお爺さんがいた。

あたしは、何かの人体実験をされたんだ。

今から、尋問が始まることだけは、理解している。



白髪のお爺さん「今、あなたが一番気になる事はありますか?」

あたし「……シュレディンガーの猫」

白髪のお爺さん「え?」

あたし「大学で量子力学で散々習った。
コペンハーゲン解釈とか、
シュレディンガーの猫とか、
二重スリット実験とか」

白髪のお爺さん「なぜそれが一番気になるんですか?」

あたし「多世界解釈。あなたも、シュレディンガーの猫はさすがに知ってますよね」

白髪のお爺さん「はい。箱の中にいる猫が生きてるか死んでるか、
箱を開けて確認するまでは確定しないとか言う」

あたし「そう。箱の中に放射線を当てる。
箱の中の猫は、50%の確率で生きていて、50%の確率で死んでいる状態では、箱の中の猫は生きてる猫と死んでる猫が同時に存在する。
観測者が箱を開けて、中身を確認して初めて、生きてるか死んでるかがわかる。
確率が収束し、そこでひとつの結果が出る。
逆に観測するまでは、生きた猫の世界と、死んだ猫の世界が、同時に存在する。
これが、多世界解釈」

白髪のお爺さん「残酷な実験ですね。猫を半殺しにするなんて」

あたし「本当はミクロだとかマクロだとか波動とか、量子の話で、賛否両論ある。
でもあたしが思ったのは、その観測者が何者かという事」

白髪のお爺さん「人間ですよね?」

あたし「そう。じゃ、その人間が見誤った場合どうなる?」

白髪のお爺さん「え?」

あたし「猫がグッタリと動かないから死んだとその人が思ったら、その猫は死んだと結果が収束する。
それって、危険じゃないですか。
だってグッタリと動かないだけで、死んでるとは限らない。
死にかけてるだけで、まだ生きてるかもしれない」

白髪のお爺さん「確かにそうですね」

あたし「例えば推理小説では、多世界解釈はタブー。
推理小説では、この人が犯人だと決まらないと何も解決しない」

白髪のお爺さん「その通りですね。
確かに、世界によって犯人が違かったら、推理もへったくれもない」

あたし「そう。でもその多世界解釈で犯人をコロコロ変えた物語がある。
その代表的な作品が、ひぐらしのなく頃に」

白髪のお爺さん「それも聞いたことありますね。
色んな世界で、犯人が代わる話ですよね」

あたし「そう。だけどここで話は終わらない。
実はひぐらしのなく頃にという作品は、多世界解釈を否定する為の伏線だった」

白髪のおじいさん「と言うのは?」

あたし「作者は、続編としてうみねこのなく頃にという作品を出した。
ここで初めて、ひぐらしのなく頃にという作品が完成するんです」

白髪のお爺さん「うみねこ?それは聞いたことないです。続編なんですか?」

あたし「うん。一見、うみねこのなく頃にも、犯人がコロコロ変わるから別の世界線の話かと思ったんだけど、作者はこれを覆したかった」

白髪のお爺さん「そうなんですか?」

あたし「ひぐらしのなく頃にと、うみねこのなく頃には多世界解釈だと思っていた数々の殺人事件。
うみねこのなく頃にでは、観測者によって真実が変わるということを言いたかった」

白髪のお爺さん「さっき言っていた、観測者が見誤る、という話ですね」

あたし「そう。人間というものは、自分の嫌いな人を犯人だと思う性質がある。
自分が好きな人を犯人だとは思いたくないから」

白髪のお爺さん「なるほど」

あたし「猫に生きていて欲しいと願っている人が箱を開けたら、
猫は死んでても、まだ体は温かいから生きてると思うかもしれない。
猫なんてどうでもいいと思ってる人が箱を開けたら、
動かないから死んでるわ〜と思うかもしれない。
観測者が何者かにより、結果が変わると思う」

白髪のお爺さん「なるほど……確かに人って、
見たいようにしか、物事を見ないですからね」

あたし「そう。ひぐらしのなく頃にでは多世界解釈のファンタジーのように見せかけ、
うみねこのなく頃にでは、人の数だけ、犯人はコロコロ変わるものだよって事を言いたかった。
だから結果的に、推理小説上での多世界解釈を
バッサリ否定して終わったの。
全て魔女の仕業という事で……。
その魔女とは、推理したがる、私たち無数の人間だった」

白髪のお爺さん「深いんですね。私もひぐらしのなく頃にとうみねこのなく頃に、読んでみたいですね」




そう言いつつも

大して、興味はなさそうに見えた。

この人、口だけで絶対読まないだろう。

あたしの心を開かせる為に

口から出任せを言ってる事は、見抜いていた。




あたし「シュレディンガーの猫の話では、賛否両論ある。
その賛否両論、両方の主張を読めば読むほど、面白い事がわかる」

白髪のお爺さん「例えば?」

あたし「パラレルワールドがある、ないの話じゃない。
人は自分が見たいようにしか、物事を見ない。
その事を学んだ」

白髪のお爺さん「ふむふむ」

あたし「これは、ニュースもそう。都市伝説もそう。
特に、人間の心理として、ネガティブなニュースに強烈に惹かれる。
上野動物園でパンダが産まれましたという幸せなニュースよりも、
世田谷区のお金持ち一家が全員殺されました。
そういう悲しく悲惨なニュースのほうに惹かれます」

白髪のおじいさん「そうですね」

あたし「例えフェイクニュースだとしても、
ネガティブな情報というものは信じてしまう。
戦争が起きたから、紙類が手に入らなくなるというフェイクニュースが流れると、
一気にトイレットペーパーやティッシュが売り切れになる」

白髪のおじいさん「なるほど。それはわたしでも買い溜めしに行ってしまうかもしれません」

あたし「はい。だけど、逆にネガティブなニュースを意識して見ないようにしてる人も、少ないですが、います。
その人たちは、心に希望を持ち続けています」

白髪のお爺さん「人それぞれ、求めてる情報が違うと?」

あたし「そう。悪魔の証明ってあるでしょ?
あった事は証明できるけど、ない物をないと証明する事は出来ない。
霊がいない事を証明する事は出来ない。
例えば悪魔の証明が出来たとする。
『幽霊』なんていないと信じてる人の目の前に、幽霊を連れてきて見せてあげるとする。
壁をすり抜けて空を飛んで、人に憑依するのを目の前で見せたとする。
そうしたら、幽霊を信じなかった人は、幽霊はいると信じると思いますか?」

白髪のお爺さん「目の前で見たなら、信じるのでは?」

あたし「信じないと思います。いくら証明したとしても。
これは何かトリックがあるんだとか、ホログラムを使ってるんだとか、
はたまた、変なガスを吸わされて薬を飲まされて、幻覚を見ているんだと思い込む」

白髪のお爺さん「それもあるかもしれませんね」

あたし「例えば、未知のウイルスが流行ったとして。
このワクチンを打てば80%かかりませんよ。
かかっても重症化しませんよ。
と言われたら?」

白髪のお爺さん「打つでしょうね」

あたし「そう。そのワクチンにもたくさん、危ない副反応があったとしても。
ワクチンは無害だという証拠がなかったとしても。
未知なるウイルスにかからない、その希望が、このワクチンを打ったから、自分はこのウイルスにはかからない。
ワクチンを打ったから、かかっても重症化は絶対にしない。
そう、解釈すると思います。
人は、何でもかんでも、自分の見たいようにしか物事を見ないものなんです」

白髪のお爺さん「そうですね」

あたし「その、逆の話をします。
人は物事を自分の見たいように見る。
これは悪いことばかりではないはず。
例えば周りから見て、とても不幸な人がいたとします。
でもその人が、自分は世界一の幸せ者だと思っていたら?
事実がどうであれ、その人は死ぬまで、幸せな一生を送るでしょう」

白髪のお爺さん「はい。その人自身が、幸せならば……」

あたし「引き寄せの法則とか、マーフィーの法則とか、色々あるけど。
それも真実であると思います。
だって、私は幸せを引き寄せる。
不幸な事には目を向けない。
幸せになる事しか目を向けない。
その心が、幸せな自分を生み出すんです。
波動がどうとか宇宙がどうとか説明しなくても、
既にもう、その人たちは幸せになれてるじゃないですか」

白髪のお爺さん「スピリチュアル系の話には明るくないですが……宗教もそうですね。
本人が幸せなら、幸せなんでしょう」

あたし「お金や人生を搾取するだけの、カルト宗教とかもあるから、
何が正しい、何が悪いって事は言えません。
良くも悪くも、思い込みの力って、自分の人生、全てを作り出すと思うんですよね。
何に焦点をあてるかで、あたし達は幸せになるか、不幸になるか、変わってくる」

白髪のお爺さん「……では、あなたは……何に焦点を当ててるんですか?」

あたし「〇〇〇です」

白髪のお爺さん「…………」

あたし「今、あたしは最高に、幸せです」

白髪のお爺さん「……そうですね」





白髪のお爺さんは少し

悲しげな目をして

あたしの目の前から、居なくなった。