もしも神さまの意志で生きる事が許されるなら、わたしはお母さんよりもりっぱな生き方をしてみせます。
つまらない人間で一生を終わりはしません。

                                                        ー  アンネ・フランク  ー






「ママー!」



春風の声に、ハッとした。

春風がいつの間にか、私の隣にいて腕を引っ張ってる。

解離性同一性障害の話をしてたから、春風が遠くにいるのを確認してたはずなのに。

春風、テレポテーションした?



私「春風どうしたの?」

春風「ママ、ぼーーーーっとしてたよ!」

私「お、ごめんごめん。春風、肉団子は?」

春風「もーおなかいっぱーい!」

私「えー全然食べてないじゃん!」



春風はまた、パタパタと近くのフラミンゴを見に行った。

そして上野さんの顔を見たら、私を見たまま固まっていた。



私「上野さん?」

上野さん「え……え?」

私「あ……ごめんなさい。病気の話なんかしちゃって……ごはん不味くなりましたよね……」

上野さん「……え?そ、そんな事」



上野さんは動揺を隠しきれてなかった。

そりゃそうか。

解離性同一性障害なんて、誰もが知ってる病気ではない。

いきなり解離性同一性障害です、別人格います、なんて言われても、何言ってるの?ってなるよね。

私はテーブルの上に置いてある診断書を封筒にしまって、バッグに入れた。

上野さんは手を痛そうにさすっている。

寒いのかな?

もう、病気の話はやめにしよう。



上野さん「あの……愛美ちゃん?」

私「はい?」

上野さん「愛美ちゃんって、あいみじゃないの?もしかして、まなみって名前だった……?」

私「ま、まなみ!?違いますよ、あいみで合ってます!確かに読み方聞かれることたまにありますけど、あいみで合ってます!」



別人格の男好きの愛海と一緒にして欲しくない。

私はタコさんウインナーをモリモリ食べながらブンブンと手を振った。



上野さん「そ、そう……」



上野さんはそれ以来、元気がなくなってしまった。

私が記憶喪失とか、言ってしまったからだ……。

言わなければ良かったと、後悔しつつも、とりあえず動物園は閉園まで楽しんだ。

上野さんのテンションは明らかに低くなっていた。

病気の話なんてするんじゃなかったかな。

だけど、あの時本当のことを言わないと、私が強盗犯だと思われてしまう。

上野さんは元カレの相談をしたかったかもしれないのに……私の話をしてしまったからか、気を使って最後まで元カレの話はしてくれなかった。

よそよそしくなってしまった上野さんを見て……私はこれから、腫れ物に触るように対応されるのかもしれない。

だけど、上野さんを家まで送った時に言われた言葉でその不安は払拭された。



上野さん「愛美ちゃん、また改めて……二人きりで話がしたい」

私「え?もちろんです!旦那に確認して、行ける日教えますね!」



そっか。彼氏の愚痴なんて春風のいる所じゃ話せないもんね。

良かった。

解離性同一性障害とか言ったから、距離取られるかと不安になってしまっていたけど……良かった。

上野さんと別れて、私と春風は自宅に着いた。

運転は、信じられないほどに既に慣れていた。

記憶ないのに運転だけは出来るなんて……自分でも不思議だった。

帰宅すると、大志はパンツ一丁でゴロゴロテレビを見ていた。

部屋はあんなに綺麗にして出かけたというのに、半日でこの有様だ。

大志の周りには、おつまみや氷結の缶のゴミが散乱している。

テーブルにはコンビニで買った弁当の空き容器と、コーラの缶。

そして、脱ぎ散らかした靴下も転がっていた。

大学生の一人暮らしか。

帰宅して、大志の周りのゴミを全て回収した。

何度も「自分が出したゴミぐらい捨ててよ」と言ったことがある。

その度に「俺は働いてて疲れてるんだからしょーがねーだろ!」とキレられていた。

「ゴミ捨ててくれたら私助かるなぁ」と、優しく言っても無駄だった。

「おう」と言いつつ、全く変わらなかった。

この男は変わるわけがないと悟った時、何を言っても無駄だと知った。

無駄に喧嘩するぐらいなら、私が片付けた方が手っ取り早いのだ。

春風とお風呂に入って、春風に絵本を読み聞かせをして、天国にいるかのような一日を過ごしたのに……。



大志「愛美、やろ!」



地獄の時間が来た。



私「動物園で歩きすぎて筋肉痛になるかも。今日はしんどいかなぁ……?」

大志「それはね、夜のスポーツが足りてないんだよ」



毎日やってて足りないとは。



私「疲れちゃった。運転もしたし……」

大志「いいじゃん。たまにはお風呂一緒に入ろ?」

私「は!?私さっき春風と入ったばかりだよ?」

大志「いちいち文句ばっか!うるせぇなぁ!俺明日朝早いんだよ、早くしろよ」

私「……」



言い返す気力もない。

ここはまた、目を閉じて……大志がとっとといってくれるのを待てばいい。

幸い大使は早漏だ。

それだけが救いだった。

大志の寝室を出る時、大志をちらっと見た。

まだ25歳だというのに、早くも太り始めてて、更にボヨンとしたビール腹を見て、気持ちが悪いと思った。

大志以外の人が太っててもビール腹でも、何とも思わない。

大志限定だった。

大志の、何もかもが醜く見えてしまう……。

陰鬱な気持ちで、自分の寝室に行った。

スヤスヤと寝ている春風を見ると、心が安らぐ。

ベッドに横になり、組織用のスマホを取り出した。

組織用のスマホは、今日初めて見る。

何件か来ていた。

護からだ。



護「この前のタクシーの乗客の画像取れたよ!キャップを深く被ってて、サングラスとマスクしてたから特定できず。
髪の長さもわからない。体型は女のようにも見えるけど、男かもしれない。
画質はかなり荒かったから余計にわからない。これでも高画質にしてあるよー」



画像が送られていたけれど、確かに男か女かわからない。

女っぽいけど、最近はこれだけ華奢な男の人もいる。

中性的な男と言われたら、普通に納得できる。

こんな人見覚えがない。

なんで追いかけてきたんだろう。



「ガーゴイルが愛美を狙ってるかもしれない」



この前のアキラの言葉を思い出して、その言葉を必死で打ち消した。

ガーゴイルなんて組織が私を狙ってるんだとしたら、こんな画像見たって私がわかるわけがない……。

市橋先生からのLINEを開いた。



市橋先生「明日9時26分発の新宿行きですね。9時20分にC駅の一番ホームで待ってます」



明日は新世界の本部に呼ばれてる日。

14時に新宿西口交番前と言われてるけど、10時30分に友里と海斗さんと新宿で待ち合わせして、14時までランチする事になっている。

友里と海斗さんは、都心に住んでていいなぁ。

新宿まで近いって言ってたし。

それにしても、市橋先生は私になんでキスをしたんだろう。

咄嗟に覚えてないフリしちゃったから、

「キスしたくなったからしたってどういう意味ですか?みんなにそうやってるんですか?のど飴舐めるとキスしたくなるんですか?」

と、聞きたくても聞けなくなってしまった。

アキラは「好きだからだよ」って言ってくれたのに……。

アキラは……明日来ないんだっけ。

会いたかったな……。

って、会ってどーするの愛美!

会って何を期待してるの?



風翔くんからも来ていた。



風翔「愛美ー!今度DAI先輩とL先輩で焼肉やろーって!L先輩も会いたがってた!」



L先輩?

Lって、DEATHNOTEのL?

確か記憶の映像の中で、Lと誰かが殴り合いしていたような?

会ってみたら、Lが誰なのか思い出せるのかも。

でも、思い出した!って感覚はないんだよな。

ただ、映像が流れてきて、それを眺めてる感覚。

友里からも来ていた。



友里「明日いいお店いくつかチョイスしといた!どの店がいいか決めといてね!」


お店のリンクが4つ送られてきている。

友里はいつも楽しそうだ。

友里といると、私もつられて元気になれる。

でも今日は多摩動物公園の坂道を歩き回って、身も心もヘトヘトになっていた。

明日、市橋先生と電車の中で決めよう。

組織用のスマホを充電コードに繋げ、大志に見つからないようベッドのマットレスの下に突っ込んだ。

そして、普通のスマホにアラームをかけて、泥のように眠りに落ちた。



翌朝。

7時にチャイムが鳴った。



大志「お久しぶりです!今日は春風と愛美を宜しくお願いします!」

お母さん「久しぶりね。大志くん、またカッコよくなった?」

大志「えぇー!そんな事ないですよー!」



今日は私のお母さんに、春風を頼んでいた。

もちろん、私は新宿へ行くから大志には内緒である。

お母さんには、私は女友達と新大久保へ食べ歩きと嘘をついている。

大志の束縛や疑心暗鬼がひどいことは、お母さんには言ってあるから、お母さんも私の嘘に乗ってくれていた。

私は大志にも、お母さんにも嘘をついてて……嘘をひとつつくと、どんどん嘘を積み重ねることになるんだなぁと、痛感する……。



大志は8時に家を出た。

良かった、今日は大志の出勤が朝早くて。

私は、9時に家を出る。



お母さん「愛美は今日新大久保で何を食べるの?」

私「わかんない!行ってみてから決める!お母さん、ごめんね?」

お母さん「全然!私も春風と映画でも観に行ってくる!春風とは全然会えないから楽しみにしてたよ!」

私「春風がもし、ママはいなかったよー!って大志に言っちゃったら、なんて言えばいい?」

お母さん「そしたら、私が春風に言っておくよ。ママは親戚の人に呼ばれてったって」

私「わぉ。ナイスアイディア!」

お母さん「それにしても……大志くんはなんでそんなに愛美を束縛するんだろうね……。ちょっと異常じゃない?友達と出かけるのすら怒るって」

私「うん……会社の人とカフェ行くのすら怒られるもん……」

お母さん「……ひどいね、それ。これで愛美が専業主婦ならまだわかる。でも愛美だって社員として働いてるから、付き合いはあるっていうのに」

私「お母さん……」



嬉しい。

お母さんはわかってくれるんだ。

やっぱり、お母さんは私の味方なんだ。

涙が出そうになった。



お母さん「私が大志くんにきつく言ってあげようか?」

私「い、いや、大丈夫。そんな事したら私が殺される」

お母さん「え、殺される……?」

私「大丈夫!春風、昨日動物園ではしゃいでたから、たぶんあと二時間は起きないかも。朝ごはん作って冷蔵庫に入れてあるから、チンして食べて!お母さんもゆっくり休んでね!」

お母さん「ありがとう……」



私は、涙を必死で堪えながら家を出た。

お母さんは、私の味方なんだ……。

なのに、何か違和感を覚える……。

なんで、絶対的な味方のお母さんの事を忘れたのか。

なんで、お母さんは私が失った過去の話を避けるのか。

そして……。



「子供は絶対に三人産むべき。三人産んだらその時にようやく、本当の母親になれる」

「母親は家で家庭を守るもの。外で働くのは子供が可哀想だ」

「子供が家に帰ってきたら、母親は家でおかえりと言うもの。母親が働くなんてとんでもない」

「何が起きても、子供のために離婚するべきじゃない。夫婦仲が悪くても、離婚なんて子供が可哀想だ」



この言葉を、ずっと誰かに浴びせられて生きてきた気がする。

だから、私もそうするべきだと思ってしまう。

働いてることに、猛烈に罪悪感を感じる時がある。

誰から、この言葉を教え込まれてきたんだろう。

私のお母さんは、今はそんな事言ってない。

「母親は、何が起きても子供の味方でいるべきだ」

この言葉には、賛成する。

私の記憶のないところで、

私はこの呪いの言葉にずっと……縛られて来てる気がするんだ…。

だれ?

誰の言葉なの……?