大きくなったら、お姉ちゃんと結婚するんだ。
 僕が絶対、きれいなお嫁さんにしてあげるね。
 約束だよ、お姉ちゃん、指切りして。
 僕が大きくなったら、お姉ちゃんのこといつも守ってあげる。
 だからずっと、仲良しでいようね。

 年が離れた弟だから、お前は半分母親みたいなもんだなあと、甘える弟に足をとられて転びそうになっていた自分を見て、父はよく笑っていた。母が居ない私たち姉弟にとって、景介は、弟は自分が知らない母親を私に求めているのかなとか、しっかりしなくちゃとか、父が言うたびにそんなことをひそかに心へ刻みつけていた。
 
 ふたりに、と頂いたプレゼントやお菓子や贈り物の選択権はいつも景介に譲った。お姉ちゃんはいいから、景介が先に選んで。先に食べなさい。譲る私にいつも、ニコニコしてあの子は言ってくれた。

 お姉ちゃん、ありがとう。
 お姉ちゃん、クッキー半分こ。お姉ちゃんが大きい方だよ。
 ご本読んで、お姉ちゃんのほうが、父さんより上手だから。

 甘える景介は、私にとって宝物だった。なにか頼まれると断れなくて、父にはお前は甘いから心配だなんて小言をもらったことも少なくない。顔が母に似ていて可愛らしかったから、そのせいでバカにされて泣いて帰って来た時は、ずっとそばにいて、大丈夫だからと慰めた。
 私はいいから、お姉ちゃんは大丈夫よ。
 いつしかその言葉が口癖になった私に対して、小さい頃から変わらず景介は「ありがとう、姉さん」と返してくれた。

 甘えてあちこちついてきていた頃から、ずっと。
 これからも、と思っていた。

 どうしてだろうね、どうして、これだけは。
 私は、景介に譲れなかったんだろうね。
 これだけは、この気持ちだけは。

 先週だろうか、すれ違ったときに私にはすぐ彼だと分かった。
 足元を楚々と歩いて通り過ぎていった、艶のある毛並みをした黒猫。
 じんわりと、地面から伝う自分へ向けられた警戒心が細かいトゲのように、肉球の先にある尖った爪のように胸をちりりと刺す。
 
 震える声で、私は名前を読んだ。
 猫の名前、彼の名前、私と弟が心を寄せる相手の名前。

 半死半生になり、静かに穏やかに、あたたかな黒潮に眠らせていた身体はいつしか姿を消していて、探そうとしてもすべがない。
 諦めたまま、時間だけが過ぎて、何度も季節が変わり、父を看取ってからは大きすぎる家に弟とふたりで暮らした。
 いなくなった自分を探してくれた弟に対し、きまり悪い、よそよそしい空気だけが流れた。


 大きくなったら、お姉ちゃんと結婚するんだ。
 お姉ちゃんを助けてあげる、お姉ちゃんとはおいしいものも、楽しいことも、全部半分こしようね。

 甘えていた弟は、もういい年のおじさんになっていて、時折腰が痛いとか、つまづいたりおぼつかない。
助け合うたびに、少しずつ戻れたら。
そんな淡い願いを込めて、傷口に薬を塗って、お茶を淹れて、口数少なくともひとつ屋根の下で過ごし、生活をともにしていた。

 不意に、姉さんと景介が呼びかける。

 姉さんは、あのことだけは、譲らなかったね。
 僕はとっくに、気づいていたのに。
 バカなんだから、姉さんは。

 胸のつかえが消えて、つうつうと涙が溢れる。

 僕も見かけた。
 弟と、仲良く歩いていたよ。
 元気でよかった、僕も、あいつらも、それから姉さんも。

 しん、と静かだった部屋にあたたかな空気が戻ったのは、何年ぶりだろう。

 私は、景介とようやく、ぎくしゃくせずに、向かい合って話せた気がした。

 外には沈丁花が咲いている。父が好きだった花だ。
 
 ねえ、猫でも飼おうか。
 スコティッシュなんかどうかな。
 姉さんは、やっぱり黒猫がいい?

 姉さんが決めてね、僕は譲るよ。
 今まで甘えた分の、恩返し。なんて言ったら、また気にするかな?

 景介は変わらない、甘ったれた笑みを浮かべて私を見た。
 滲んだ視界は、春の靄のようで、優しくあたたかかった。


 御陸魅月
 御陸景介 
 美人姉弟で見ていて一人っ子の自分は羨ましかった。

 中山うり ホタル
 村下孝蔵 弟
 村下孝蔵 かざぐるま