Cat teaser:猫じゃらし
付き合っているのか、いないのか。
ひとりっきりだと、余計なことをつい考えてしまう時がある。いろんな愛情のかたちがあるんだから、別に隠れる必要はないよなんて先走る声が聞こえたり、聞こえなかったり。
外は、さらさら小雨が降っている。
九州では梅雨入りだなんて、ニュースがスマホの画面に表示される。
緊急事態宣言が解除後、久々に登校すると机は少なくなっている。出席番号による振り分けで登校日がわかれたからか、教室にいる生徒数は半分だし、隙間が空いているせいで妙に寒かったりしていたのは、梅雨が迫る合図だろうか。それとも、俺が猫と混合になっている身体のせいだろうか。
縮こまっていれば「天王寺くんって、寒がりだね」と女子に言われて「うるせえな」とすごんでしまい、おまけに泣かれ、職員室に呼び出され怒られたことは少なくない。
一方で、「自分には感染しないとはいえ、誰かに感染させるかもしれないからマスクしたほうがいいよ」と女子がなぜか布マスクを事あるごとに作って持ってきてくれることは、ありがたいけれど……。
「どこで売ってんだよ、こんな布よぉ」
ひとりごちて、自分しかいない教室でマスクを外す。
トラに牡丹、背景は水墨画ってこれじゃスカジャンの刺繍かよと突っ込みたくなる。持ってきて、「似合うと思う」と言われたらつけないわけにもいかないから仕方ない。今朝は「ぶれないなあ、お前は」と教師にまでつっこまれ……なんて日だ。
いや、俺にとっては毎日が「なんて日だ」って感じだ。
がらっと変わった世の中、そうだ、世の中がいちばん変わった。そう思うし、そう思いたい。
今年はじめに流行しだした感染症、感染者の増加によって。
リモートだとかいうテレビ会議に、手作りでだんだん凝り始めた布マスクだとか、ネットデリバリーとか通販とか、そしてストイックな手洗いや、品薄と転売の温床になっていた使い捨てマスクに、遅すぎる国の対応。
ピリピリした空気は、俺の意識を「対岸の火事」にはさせてくれない。どうせ感染しない、予防するのは相手だけでじゅうぶん、自分には縁がない出来事だとか構えていても、周囲はマスクしていない姿で外出すると厳しい視線を向けてくる。
面倒くせえな、なんでもかんでも。
そんな風にこぼした俺に向かい「変わっていく世の中に従わなきゃ生きていけない時もある。今が、まさにその時だ」と言う奴もいる。
時代錯誤がはなはだしい、大政奉還とかそこらへんに生きてたせいか、古風すぎるくせに、順応性が強い。
緊急事態宣言発令前にスマホを契約したはいいが「スマホってなんだ、美味いのか?」状態からわずか一週間でコミュニケーションアプリもSNSも使いこなす。
頭はいいし真面目で、当然モテる。
伸ばし放題にしているくせに、腰まで届く髪はサラサラで痛んでいない。
頑固だけど根は素直、歴史小説が何よりも好きで、決して誰かをおとしめたりすることはしない、むしろ「恥である」と考えている。
それに加えて、端麗なビジュアルかつ秀才だからこっちが恐縮する。
俺は誰よりも弟が大事だし、自分の幸せとかどうでもいいから。
はにかみながら吐露する本心も、優等生極まりない。
聴いているほうが、なんだか「申し訳ない」気持ちになるほど。
たまにうるさいけどね、と弟の……いや、実際は血縁じゃないから弟分ということになるが……待ち合わせしている相手、影崎留意は言う。近くにいるほど、窮屈なんだろう。わからなくはないけど、お前が言うなと俺は喉元まで出そうになるのを、こらえてばかり。
可愛い、明るい、接しやすい、たまに泣き虫。
甘え上手で、そっとすり寄る。
注意すれば、「愛嬌だけじゃ、生きていけないなんてわかっているもん」と、生意気な口答え。
大事な兄の前ではいい子、それだけは譲らない。
根が疑いを知らない性格である兄貴は、そのまま信じ込んで「かわいい弟」と思い込んで接していて、やはり俺だけが罪悪感に満たされる。
失礼だよね、あざといなんて。
上目づかいで俺にもたれかかり、そっと手を握りながら言う顔に、そのまま返してやりたい。
だが「あざとい」という言葉をスマホについた辞書でひいてみると、どうやらネットで使われているそれとは意味が異なるらしい。
抜け目なく貪欲、悪辣、小利口、思慮があさい。
本当はそういう意味合いで使う。
普段使われるような「かわいい」とか、「ぶりっ子」とか、「計算高そう」みたいな意味とは少々違う。
じゃあ、留意はどうなんだ?とぐるぐる考え込んでいたときだった。
「遅れてごめーん、掃除当番逃げられなかった!」
教室のドアを開けて、水色の不織布マスクをつけた留意が入ってくる。
「いいって、お疲れ」
よいしょっと、と隣の席とセットになっている椅子を引き寄せて留意は俺の隣に座ると、「待ったよね、先に帰っててよかったのに」と寄りかかる。
「おい、密だぞ」
耳がぱっと熱くなってきたから、照れ隠しに離れようと押しのけようとしたら「誰もいないじゃん」と留意がちらりと、横目で廊下を見た。
下校時刻や授業時間が早まり、今は教師もほとんどが職員室にいる。部活もないから、校舎も静かでしんとしている。
「固いこと言って……うつった?」
「あ?何が」
「兄貴の真面目さ」
「からかうなって……」
怒るなよぉ、と留意は人差し指でつんつんと俺の頬をつつく。
「お前さあ……あの兄貴にもこういうことすんの?」
問いかけると、留意は肩の上に顎をのせて、にっと微笑む。
嫌な予感がした。
こざかしい光が、微かに黄色い眼に宿る。胸が高鳴る。さっきまで寒かったのに、首筋に汗がにじむ。
ゆっくりと留意が口を開き、牙をあらわにする。
「しないよ」
ほら、想像したとおりだ。
「……央ちゃんだけだよ」
やっぱり、デフォルトな答えだ。
あざとい、の意味はこいつにとって「当たっている」かもしれない。ネット上ではなく、辞書とか本来の意味上で。抜け目なく、貪欲。
ご丁寧に、ウインクまでしおって。
長髪イケメンお兄さん、ミスターストイック、影崎標意は知っているんだろうか、こんな姿を。付き合い長いんだから、知っていてほしい。
そして、やめさせてほしい。
生きている心地がしない、色恋の意味で。
「どうしたの?央ちゃん?」
「いや、なんでもねえけど……お前、それやめ……」
「普段はヤンキーの癖にさ、細かいんだ」
留意が俺の言葉を遮り、マスクを顎までさげる。
そして、すでにむき身になっている俺の唇の、端にそっと口づけた。
「機嫌悪くしちゃった?」
どこで覚えたのやら、首をかしげて俺を見る。
こんなことじゃ、驚かないしうろたえない。うろたえちゃいけない、なによりばれたらどうする。見られていたら、一刀両断じゃすまないんじゃ……というか最近になって某鬼退治の漫画にはまっているっていうことは、鬼より怖い影崎標意になるってことじゃねえか。オウノウ。
「……帰るぞ」
席を立ち、わざと置き去りにするように留意を待たず、玄関に続く階段を降りる。
慌てて椅子を片づけ、教室のドアを閉めて小走りに、留意が追い付いてくる。
他の女子だとか教師とか、クラスの奴だったら「うぜえな」の一言で、放置するんだが、学ランの袖を「待って」と掴んできて「ごめんね」なんてあやまって、するすると腕をなでるようにして、手を動かして指をからませてくる。
そこまでしなくても、俺は逃げないから。
声に出したら、はぐらかされそうで、いまだにできない。
ほら、だれもいない。
クスクス笑って、留意は俺の耳に触れた。
信じていいか、それともただ「からかっている」だけか。
真面目な兄さん、あんたならどう思う?
斬り捨てられるひきかえに、答えをきいてみたいと、俺はひそかにそう思った。
小雨はまだ、降っている。
teaserで「あざとい」という意味もあるそうな。
るーちゃんの「僕はかわいい末っ子感」がかわいいです、きようぉ。