俺はこんな稼業だから、やれ神だ仏だ、パワースポットだとか、はなっから信用しちゃいねえ。
だが、一度だけ、俺が、いや正しくは俺と妹の合歓が見たモノだけは、本物なんじゃねえかなって……。
あの日、たまには外で、飯でも食おうと合歓を誘った。ヨコハマディビジョンはいくら俺が仕切って、銃兎がパトカー乗り回して、ネズミどもを捕まえていようが、物騒には変わりねえ。だから、車で合歓を迎えに行ったんだ。
飯は桜木町にある中華街で合歓がすきな粥とか、点心とかを食って、じゃあ帰るかってなったのがもう夜の11時だった。男なら気を付けろよって駅で別れるが、合歓はあまり外出しねえし、土地勘がねえから、ひとりで帰したあとにもし何かあったらと、兄貴としちゃ心配になる。
合歓はもともと酒は飲まねえし、俺も車で迎えに行ったから、ふたりとも酔っちゃいねえ。もしヨコハマで飲酒運転でもしてみろ、銃兎に一発で取り締まられて人生終了だ。事故でも起こして、合歓になんか背負わせちゃ、兄貴としても後味が悪いからな。
駐車場に停めていた車に、ふたりで向かった時だった。
もぞもぞと、ボンネットの上で動いている「何か」がいたんだ。おおかた野良猫か、捨てられたハクビシンとかだろうと思って、「うぉい! 誰の車乗ってんだごらぁ!」って、すごんでみた。
すると、そのもぞもぞしていた「何か」が、「ごめんなさい、ごめんなさい」とか細い声で言って、するりと、ボンネットから降りた。
そして、たたたた、たたたとすばしっこく、駐車場から出て行った。
人間の、言葉だったわよね。
ごめんなさいって、謝る生き物なんか、いるかしら。
合歓が、俺の隣でそんなことを言った。
確かに、インコや九官鳥だっけか?言葉をしゃべる鳥なら俺も動画サイトとかで見たことがある。けれど、その「何か」は、明らかに鳥の形なんかしてなかったんだ。
そうだな……理鶯がよく捕まえて食おうって持ってくる、ヌートリアや、ネズミみたいな……。
合歓と顔を見合わせながら、運転席側にあるドアに向かって、センサー式の鍵を向けて、ロックを解除しようとした。
しゃがんで、ぼろぼろになった服を着て、ガキが座っていたんだ。
年は……そうだな、小学生ぐらいか、って合歓が言った。
ひょっとしてさっきの「ごめんなさいって言っていたのは、こいつか?と思ったが、駐車場から出ていく影はもっとすばしっこくて、小さくて、動きも人間には見えなかった。
合歓が、どうしたのかと、ガキの隣に座って事情を訊いた。
理由は、今思い出してもイライラしちまうが、まとめりゃこんな感じだな。
母親は、お兄さんと部屋にいる。
お兄さんは、自分を見ると叩いたり、食事を取り上げたりする。
お兄さんが来るときだけ、母親に言われて外にいる。
本当は、外になんかいたくないし、お兄さんも嫌い。
母親は、お兄さんが来てから、すっかり変わって自分に冷たくなったから。
お兄さんは、何人もいて、みんな違う日に来るんだと、ガキは合歓に、泣きながらしゃべってくれた。合歓も、それを聞いて泣いていた。大変だったのね、ってずっと肩を抱いたり、背中をさすってやったりしていた。
俺ぁこういうのに、まるっきり疎いというか、固まっちまうから情けねえ。
ガキの手には、いなりずしが3個、そして首にはお守りがぶら下げてあった。
近くまで送ることにしようと合歓に言われて、住所を教えてもらい、ガキとそのくそったれな母親が住んでいる、古いアパートまで車を走らせた。
部屋には、あかりが灯っていた。
まだお兄さんがいる、僕は入れない。
悲しそうに、うつむいているガキを見て、俺は瞬時に怒りがわきあがってきやがった。
ガキの頃を、思いだしちまったのかもしれねえな。
親父は、どうしようもねえ、勝手な奴だったから。
とりあえず合歓はガキと一緒に、近所のファミレスにいてもらった。事務所にさっき話した、タランチュラにやられて、ソファで仮眠した理鶯に頼んで来てもらい、見張りは完璧だ。
一服して、俺はガキの部屋のドアを、何度かノックした。
けれど、ドアが開く気配はねえ。言っておくが、俺は気が短い。
ノブを回してみたら、鍵がかかっている。耳を押し当ててみたが、声は聞こえねえ。おおかた寝ているだろうな、と俺は一層、頭にきた。
「左馬刻様のお越しだゴラァ!」
でかい声で叫んで、ドアを思い切り蹴ってやった。
脆い作りだったらしい、鍵もチェーンキーも外れて、目の前でギィィとゆっくり、ドアが開いた。
むわっと、水が流れる音といっしょに、鉄っぽい、生臭いにおいが漂ってきやがった。
靴も脱がずに部屋に入ると、音はバスルームから聞こえてきていた。ザーッという勢いある音だったから、シャワーだなとわかった。
バスルームは、どこにでもあるユニットバスだった。
そこに、大人の男女が素っ裸で倒れていた。
顔にも、身体にも無数の、噛み傷が残されていた。
あとは俺がやることじゃねえなと思って、銃兎に連絡した。
ガキと合歓は事務所に泊まらせ、理鶯は「小官は護衛しよう」と事務所前で、張り込んでくれた。まあ、MTCは絆が強いってやつだな。
その後、母親も男も命はとりとめたが、傷口が化膿してひどい有様なのと、虐待が疑われて、ガキはヨコハマの施設へ行くことになった。
後で合歓が話してくれたんだが、ガキが首にかけていたお守りと、手に持っていたいなりずしが、妙につじつまがあうそうだ。
お守りは、横浜にある稲荷神社のものだったそうだ。
稲荷といえば狐だ、いなりずしをガキのためにどっかで買ったか、自分で作って食わせたのかもしれねえと、合歓が優しい顔で言っていた。
俺も、普段なら信じねえが、ガキの母親と男が見つかった姿と、ボンネットに乗っていたものを思い出すと、あながち嘘じゃねえなと思った。
ボンネットには、獣の足跡がついていた。
噛み傷も、犬や猫じゃねえ、獣みてえなもんだと、銃兎から知らされた。
どうやら、純粋な合歓とガキには、ご利益や不思議な出会いがあるみてえだな。
俺の話はこれで終わりだ、銃兎、あとは頼むぜ。