おはようございます。
「なりたい印象」を、あなたといっしょに見つけていく。
骨格・肌質・お顔立ちから魅力を読み解き、"選ばれる印象"をデザインする。
印象ナビゲーター・ヘアメイクアーティスト「AimBle」の小川敬子です。
今日、8月15日は終戦記念日ですね。
8月6日と8月9日に広島県と長崎県で平和式典がありました。
歴史の授業でも第二次世界大戦については学習しますが、原子爆弾の恐ろしさは、言葉では言い表させない凄惨さだったと思います。
戦争で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りするとともに、戦争を起こすことのないよう、正しい知識を持って戦争を反対することの大切さをあらためて感じます。
いつも土曜日はプライベートなことを挙げていますが、今日は、祖母が生前何度か話してくれた「戦時中の恋」について書きたいと思います。
私の祖母は大正生まれで、第二次世界大戦を経験しています。
もとは愛知県の生まれですが、家族とともに大阪へ引っ越してきたそうです。
父母とともに幼い弟や妹を養うため、軍需工場で兵隊さんの服などを作っていたそうです。
そのころの経験から洋裁ができるようになり、私や妹の服を何着か作ってくれたことを今も覚えています。
食べるものも少なく、生きることに必死な時代。
祖母はいろいろな男性からお付き合いや結婚をして欲しいと縁談の話が多かったそうですが、そのような気にはなれず、すべてお断りしていたそうです。
いつ徴兵されてもおかしくない時代。
自分が結婚していなくなると家族が困ると思ったのかもしれませんが、結婚相手がいつ死んでしまうかもしれないと思うと、不安で仕方がなかったのかもしれません。
祖母も気づけば20歳を過ぎ、結婚するには遅すぎる年齢になっていたため、縁談も少なくなっていったそうです。
そんなある日、ある男性と知り合います。
とても優しく紳士的で、祖母もその方と話をする時間はとても楽しかったそうです。
その方からも何度かお付き合いして欲しいと告白をされたそうですが、祖母の方が年上であることや年齢・世間体を考えると後ろめたい気持ちになり、お断りしていたとのこと。
むかしは今よりもずっと早婚です。
今の時代を考えるとなんとももったいない話であり、少なからず祖母も好意を持っていたのであれば結婚をすればよかったのにと、この話を聞くたびに思っていました。
お付き合いをすることはなかったものの、いろいろ話をすることがとても楽しみになり、忙しい日々の中でつかの間の幸せな時間を楽しんでいたある日――
その男性が、軍服を着て出征のあいさつため祖母の家を訪れました。
いつ誰のもとに徴収令の赤紙が来るかも分からない時代。
この日がいつかは来るのだろうとは思っていたものの、あいさつに来られた彼の姿を見たときは、なんとも言えない気持ちになったそうです。
彼は、最後のあいさつのさい、祖母にこう話したそうです。
「戦争から生きて帰ることができたら、そのときは結婚してください。そのために、かならず生きて帰ってきます。」
と。
祖母は、「はい」とは言えなかったそうですが、「生きて帰ってきてください」と伝えたそうです。
何通かその方と手紙でやりとりしていたものの、返信が来なくなっていったとのこと。
そして、それからしばらくして戦争が終結。
祖母は彼の帰りをずっと待っていたそうですが、その後も祖母の家を訪れることはなかったそうです。
そしてその後、祖父と出会います。
祖父は祖母よりも年下ですが、祖母にひとめぼれし、毎日祖母に会いに来ては求婚していたそうです(笑)
その押しに負けて祖父と結婚したそうですが、年の差婚であり姉さん女房となった祖母。
この時代としては、とても大胆な結婚だったのではないかと思います。
子供が2人生まれ、面倒を見ながら家のことをしていたある日――。
自宅のチャイムが鳴り扉を開けると、なんと!生き別れになっていた彼がそこに立っていたそうです。
祖母が驚いてなにも言えずにいると、
「ご実家へ行くと、結婚したと聞いて。生きて帰ったこととごあいさつをしたいと思ってうかがいました。」
とおっしゃったそうです。
彼は少し寂しそうな顔で笑いながら、
「幸せになってください。」
と言って、帰って行かれたそうです。
祖母は私にこの話をしながら、
「生きていると思わなかったし、おじいさんといっしょになってしまって申し訳ないことをしたよ。」
と、いつも謝罪の言葉でこの話を終えていました。
祖母が祖父と結婚していなければ私は生まれていないわけですが、戦争さえなければ、祖母はその男性とおたがいを想いあって結婚ができたのではないかと思うとやるせない気持ちになります…
きっとこの時代は祖母だけでなく、たくさんの方が祖母のような思いをしたり、恋人や旦那さんを失って辛い思いをされたのだと思います。
今も世界では、さまざまな国で戦争が起こっています。
日本は非核三原則や憲法9条のもとに平和を掲げ戦争放棄をしていますが、これも改憲されようとしています。
「戦争は起こらない」と思っていたものの、ある日とつぜん戦争が始まったとテレビで語っているウクライナ人の方がいらっしゃいました。
今にかぎらず、過去の戦争もそうだったのだと思います。
戦争はトップの人間ではなく、私たち民間人が兵隊として出征させられ、ミサイルや銃弾と同じ道具のようにあつかわれます。
終戦から81年が経ち、戦時中のことを話せる方はどんどん減っています。
私の祖母も4年前に亡くなりましたが、祖母が話してくれたこの話も戦火の中を逃げて走った話も、聞いていて良かったと思っています。
戦争を起こさない・起こさせない。
この強い気持ちを忘れずつらぬくことがとても大切だと、あらためて感じるばかりです。