全国に鬼の伝説は多々ありますが、『岩手県』の県名は鬼に由来するものと言われています・・
鬼滅の刃がめちゃくちゃヒットし、鬼ブームで観光地が潤ったりしたようですが、(鬼滅の刃への乗っかり具合はジャンル問わずですね)
そもそも、鬼とは何
鬼(おに)
日本の妖怪と考えられている、伝説上の存在。民話や郷土信仰によく登場する。日本語では逞しい妖怪のイメージから「強い」「悪い」「怖い」「大きな」「物凄い」といった意味の冠詞として使われる場合もある。
ウィキペディアより引用
先ずは、岩手県の地名の由来となった盛岡市最古の神社といわれる『三ツ石神社』が盛岡市中心部にあります。その名の通り三つの大きな巨石群があり、この巨石に『鬼の手形』が残っていて、その手形の跡には苔が生えないことから今でも信仰を集めているそうです
三ツ石神社境内にある巨。奥にもう1コ隠れてます。
鬼の手形は見つけられない
よく語られる鬼の伝承です
三ツ石と鬼の手形
昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて付近の住民に悪さをし旅人をおどしていました。
そこで人々は三ツ石の神様にお祈りをして鬼を捕らえてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛りつけました。鬼は二度と悪さをしないし、二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので約束のしるしに三ツ石に手形を押させて逃がしてやりました。
この岩に手形を押したことが『岩手』の県名の起源といわれ、又鬼が再びこないことを誓ったのでこの地方を『不来方』と呼ぶようになりました。
鬼の退散を喜んだ住民達は毎日踊り、神様に感謝の真心を捧げました。この踊りが『さんさ踊り』の起源と言われています。
『不来方』(こずかた)とは、盛岡の古い呼び名です
現在ここ『三ツ石神社』の御祭神は少彦名命となっております
鬼に関する民話はだいたい鬼退治で、中には人を助ける優しい鬼もいますが、英雄のような人物が悪い鬼を追い払う結末がほとんどですね
この『羅刹』(らせつ)という鬼は、怪力で足が速くて人を食べちゃう悪鬼ですが元は精霊で後に仏教に入り毘沙門天の元で守護神になったようです
・・・岩手に何個か祀られている毘沙門天はいづれも坂上田村麻呂が征夷の祈願や記念に創建したとされています。東和町の『三熊野神社』にある兜跋毘沙門天立像は坂上田村麻呂がモデルとされていて、その毘沙門天の足元を支える地天女は蝦夷だそうです。
邪鬼を踏んずけている毘沙門天像も各地にありますよ
画像は花巻観光協会から拝借
やはり、鬼の手の伝承は坂上田村麻呂による蝦夷討伐を元に創作されたようですね
アテルイとモレが坂上田村麻呂の前に投降し、二人は京都に送られ斬首されたそう(ノコギリ挽きといわれる酷い方法で惨殺されたとも。。
)
田村麻呂の英雄伝では、『彼らを胆沢の地に送り返し、蝦夷の帰順に利用すべきだ』と朝廷に助命を懇願したらしいが、公家たちを説得できず無念だったそうな
ほんとかなあ
清水寺縁起絵巻/【坂上田村麻呂との清水寺創建から、田村麻呂の蝦夷(えぞ)討伐までが描かれる】
完全に蝦夷は鬼として描かれてますけど
あまりメジャーではないこっちの伝承が真実だと思います
三ツ石と鬼の手形(裏パート)
昔この地方に狩猟や農耕をして平和に暮らしていた部族がおりました。そんな中、遠くの島からもの凄い数でやってきた鬼の民族がこの国の元々暮らしていた部族たちを力ずくで次々と支配してゆきました。
ついにこの地方にも鬼たちの手が伸びてきて、ここで暮らしていた人々は自分たちの生活を守るために必死で鬼と戦いました。特に部族のリーダー3人はがんばりましたが鬼に負けてしまい、その3人は鬼によって境内にある巨大な三ツ石に縛りつけられ殺されてしまいます。
それは生き残った部族の人々への見せしめでした。
鬼は人々をその地で従わせたり、遠くの地へ連れていき、この地へは二度と戻ってこれないよう『不来方』と呼ぶようになりました。
三ツ石に残った手形は部族のリーダー達の血に染まった無念の思いが残ったもので、『岩手』の県名の起源といわれます。今でもこの手には苔が生えないそうです。
残った住民達は毎日悲しみ、神様にこれからの幸せを願い踊りました。この踊りが『さんさ踊り』の起源と言われています。
さんさ踊りの掛け声『さっこらちょいわやっせ』は『幸呼来』さいこらという意味だそうです
注意
裏パートの話は私自身がかなり脚色してますので、物語としてお読みください
他にも、鬼にまつわる地名や伝承がたくさんあるようで、鬼滅の刃に登場しそうな地名で
『鬼死骸村』(おにしがいむら)
とい地名が江戸時代まであったそうです現在は一関市真柴地区になっています。
まんま、蝦夷たちの死骸が埋まっている場所だったって事ですよね
つづく