ブロックを解除するブロック解消アドバイザーの高之瀬温子です。


池井温子として

東京オリンピック開催の前年
昭和38年4月池井安昌、洋子の三女として
北海道札幌市に生まれる




数ヶ月で、祖父や祖母の住む

秋田県能代市に
移住






小さい頃から、あっちゃんは、
素直な子だねぇ

と言われていた。

その頃からすばしこかったらしい。

.父が慶応大学の経済学部出身で

イケメン、スポーツ万能の人だった



母は信心深く、筋の通った人で

我慢強すぎるくらいの人で、読書好きな女性だった



ただ 2人とも学ぶこと、好奇心旺盛で

わたしは
親の血を引いたと思っている







母は信仰をしていて、

わたしが幼児の頃からずっと、

母の自転車の荷台に乗って

ずっと朝参加していた。


そこで、ルビを振った本を読んでいたので、漢字の読みに詳しくなった。精神的に、その教えの影響が大きかった



『人の悪を言わず 己の善を語りません』

そのせいか どんな相手が悪くても

わたしは相手を悪く思わない

といういい子ぶりっ子ちゃんに

なった気がする



小学校の頃、夏休みは、プール通い

冬休みは、体育館でドッジボールと

楽しみ、いつも最後まで残るので

ドッジボールの女王と呼ばれていた



.すべてに消極的なA君や

男子に公平に接して、


ドッジボールの時は

みんなが活躍できるように

平等にボールを回して振る舞った

小学校6年と中学時代

イジメに会う

スポーツ根性アニメの影響を受けて

人は苦労しなければ栄光は掴めない

という思い込みが入る

巨人の星の星一徹のちゃぶ台返し




アタックナンバーワンの


『苦しくたって 悲しくたって 

 コートの中では平気なの』のど根性主題歌






最後にはオリンピックでナンバーワンになるラスト

エースをねらえ!の

岡ひろみが選手に抜擢された時のイジメ

靴の中に画鋲が入るシーンが、そのまま

中学時代に自分も経験することになる

思い込み ブロックは、あな恐ろしや😱



              より引用


中学は、軟式テニスで県大会ベスト8

高校は、軟式テニスで東北大会出場した




武蔵大学卒業

2年就職して、結婚 3人の子育て



夫は、結婚するまでは、優しかったけど

結婚した途端

パチンコに通い出し

幼い子たちの子育ては

ほぼわたし👩🏻‍🍼


自分が気に入らないと、

わたしの好きな本を

雪の中に投げられた


感情のコントロールができなくて

怒ると

電気を消されたり

果ては

スマホをトイレに水没させられたことも

あった


わたしの生涯で一番辛かったこと


主人が42歳の時に、
ストレスと子どもの受験が2年続き、鬱病になり
働けなくなった

部屋に鍵をかけ
大好きだった子ども会活動も
やめろと言われる

飼っていたセキセインコもうるさいから
秋田の実家に送れと言われる

こんなことがあったと相談すると

義母からも 実家の母からも

あんたが我慢すればことが収まる

的なアドバイス

子どもたちにも我慢させてしまった💦💦💦

傷ついて、心が引き裂かれて

その3年後、夫のことや
仕事のストレスなど、
いろんなこと我慢しすぎて


我慢の限界を超え、爆発💥💣、
自分が躁鬱病になった




現実と夢の区別がつかず人の家に侵入して
そこのおじさんを殴る

壮絶、ドン底だった❗️❗️❗️

秋田の病院に入院した時は、

両手両足繋がれて、

メガネもはずされて見えない

クスリを口に詰め込まれ

強い恐らく精神薬の入った点滴を打たれ

悪夢を見て

拘束状態の後

放たれた後は、

脳もカラダもボロボロで


入院前は、歩けたのに

歩けなくなった


約3ヶ月で退院した後のリハビリは

本当に大変だった


入退院を4回くらいして 症状が出なくなり


病院に通わなくなり


薬も飲まず、


パートだけど仕事できるまでになるまで


8年かかった



【次女のエピソード】


わたしが、秋田の病院に入院していた時

次女は中学生で、部活と勉強と家事で

大変な思いをしていた。


後で聞いたら

その時に死にたいと思ったことも

あったという



主人が鬱病、わたしは躁鬱病となり、

学校側は、娘に施設に行きますかと聞いたが、

娘は父親が心配だからと断ったという


娘のために子ども会の仲の良かったわたしの友人が

第二の母として

彼女を支えてくれたので

友人に感謝している


こんな悲惨な青春時代を送った

3人の子どもたちは

グレて当然と思ったけれど

みんな強く優しく育ってくれた


長女は、美術の才能を活かして映像の仕事につき
職場の先輩と結婚

長男も営業の仕事をしつつ結婚

自殺を考えた次女は、小学校の先生として

子ども会や色んな経験を活かして

地域の子ども達を育てている


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に続く