大学病院へ転院 腹壁破裂?臍帯ヘルニア? | 生後21日でお空に旅立ったハル君

生後21日でお空に旅立ったハル君

39歳で初産・高齢出産・海外出産。
先天性多発奇形症候群という病気でベビーをお空へ見送った天使ママです。
我が子を授かり、産まれてくれた証を残すためのブログです。
40歳現在、第二子妊娠中。

こんにちは。

ハル君ママです。


当時中国上海で書いていた日記を読み返しながら、その時の思いを書いています。

生後21日でお空に旅立ったハル君のお話です。

苦手な方はそっと戻って下さいね。



大学病院へ転院



いつもの産院で2週間ぶりの検診。33週目。



数日前から上腹部がかなり痛い。

キリキリを通り越して、ギリギリギリギリ…。

食事も出来ない。

ベッドでも横にもなれない。

リビングでソファの下、床に座っていた。

ソファは柔らかくて身体が沈み余計痛い。

床にソファに寄りかかる様に上半身を起こしたまま、数日寝ていた。

寝る、と言うより目を閉じて休むだけ、と言った感じ。

子宮の張りなら、もっと下の方が痛いはずだけど、アンダーバストすぐ下、胃の辺りから大きく迫り出し、かなり痛い。

さすがに尋常じゃない痛みだったけど、ロックダウン中ですぐに病院に行けず数日我慢していた。



産院は稼働しているものの、主治医といつもの通訳をしてくれる看護師は不在で別の担当者だった。


エコー検査。

ベビー2182g。


医師と通訳看護師が異様な空気を出していた。

明らかにいつもと違うのはすぐに察した。

別室に移動して、主人と一緒に医師の話を聞く。



ベビーの腸管が身体から出ている。

確かに素人の目からエコー写真を見ても、ベビーの様子が違うのが分かった。

羊水も通常量の3倍以上に増えている。

いつ破水してもおかしくない。

母子共に危険な状態だ、と。


この産院ではもう治療が出来ないので、転院をする事になった。

紹介された病院は上海でトップの小児科・新生児医療の強い大学病院だった。


今日は一旦帰って、おそらくすぐ入院になるから、入院準備をして翌日大学病院に行く様に、と。

あまりに突然すぎてよく分からなかった。


病状をきちんと伝えられなかったが、

「胎児 腸管が出る」

と言うワードで日本語検索したら

「臍帯ヘルニア」「腹壁破裂」と出た。

主人と多分これだろうと推測した。


※ネットより引用

赤ちゃんのへその緒より右側のお腹が欠損し、本来お腹のなかにあるはずの臓器(小腸・胃・結腸・肝臓など)の一部が、そのままお腹の外に脱出している状態で生まれる病気。



以前紹介された総合病院とは別の病院だったが、こちらも大学病院とはいえローカル。

とても気が重かったが、ベビーの身体を考えると従わざるを得なかった。


とは言え、上海市でトップの医療って事は中国国内でトップの医療。

国民13億人の中国。

地方からも重篤患者が沢山この病院に訪れる。

病院を信じるしかなかった。



翌日、午前中大学病院で検査。

大学病院の混み具合はもう大分慣れたけれど、さらにロックダウン中の事もあり、病院内が大混乱しているのが誰の目にも明らかだった。

この病院も国際病院ではないので、通訳は常駐していない。

主人と中国人看護師に通訳で今回も付き添ってもらった。


午前中にエコー検査。

検査技師は1時間以上かけてじっくり診ていた。


その後、医師からきちんと検査結果を聞く前に、入院手続きをさせられた。

入院はもちろんするつもりでは来たけど、病状はいつ説明されるのだろうか…と思った。

pcr検査後、なすがまま産科の入院病棟に向かった。


行く途中に別の科を通ったが、悲惨な状態だった。

病床が足りていない様で、廊下で担架に乗って点滴打ってる人、寝てる人があちこちにいた。

私たちもこんな感じになるのか。不安だった。

このまま入院して出産するのかな?と思った。

まだ心の準備が出来ていない。


産科入院病棟の大部屋(6人位いた気がする)で待っていたら数時間後呼ばれた。


産科医、小児科医、新生児科医、看護師長、その他大勢(誰…?)

大学病院なので研修医らしい若い子たちも沢山いた。

パッと見、病院関係者は10〜20人はその場にいた。


何が起こるんだろう…。

怖くなった。