娘、自転車乗れるまで回復
久々の自転車は、フラフラだったけど乗れたよって。嬉しそうに、帰ってきた。
以前、娘に聞いた。お小遣いもらうのと、仕事するのどっちがいーいいかな
娘、仕事と即答。自転車で、仕事の面接へ行ってたらしい。見事に就職。良かったね
仕事は、朝9時から、夕方5時まで。
いつまた、足がカクとなり、転ぶか分からない。そんな心配から、職場まで、私が、送り迎えする事にした。
娘、仕事内容、忘れないようにいつもメモして。
人一倍仕事してた。
咳は、あいかわらず止まらない
飴舐めてると咳出ないからと、いつも飴持参。
飲み物も、すぐに飲めるようにそばに置かせて頂いたと。
そんな日々を過ごしていたある日、脳に転移が見つかる。2度にわたる手術
幸せな時間を、病魔は、娘の体を徐々に蝕んで行く。娘の体金具だらけ。それでも、娘諦めない。
その何年後、腕の骨に転移が、見つかる
もう1キロ以上の重たい物は、持たないように。一年後このままの状態でいられるかは、分からないと、主治医から、伝えられる。
同時に娘の酸素値、今まで、70〜80。もうそろそろと、在宅酸素を勧められ、開始。それでも、まだ、その時は、必要な酸素3リットル〜5リットル。
娘、それでも仕事行けますかって主治医に相談。持ち運び酸素持って、酸素しながらなら、出来るよと。ただし、重たい物は、持たない様にと。
娘、考えた末、5年近く勤めた職場を退職。
お世話になりました。
娘、家で、出来る仕事とりあえず資格とる。