* せごどん!の地にて
* <ボディワーク in 鹿児島> 





☆ テーマ:
「ビジョン(絵柄)と音(声)と動作(肉体)の一致」

☆ 実際のワーク:
「咲いている桜の花」と「春・ハル(という音)」と
「それを表す(それと同じ振動数の)動作」が、一致した状態にする
⇨「桜の花が咲いている状態」「陽だまりの暖かい感じ」
と同じもの(同じ振動数)を、「『春がきた』の歌」と「歩く動作」で表す。
目的:その3つが同じ振動数になった時、空間にその状態(ハルという状態)が表される・創造される。 ということを体験して知る。


<結果>
・頭で考えてそれと同じ振動数で歌おうとしたり、それと同じ振動数で歩こうとしても、3つを一致させることはできない。頭で考えて「その空間」を作ろうとすると作れない。「しよう」とか「作ろう」としないときに、(勝手に、自然に)作られる。


・そのとき「意識の座」はどこにあるか? 
「桜の花が咲いている状態」「陽だまりの暖かい感じ」を見たり受け取った時に(ただし「桜の花」個体を見るのではなく「桜の花が咲いている状態」を受け取る)、体全体に生まれた感覚・感情を感じているだけで良い。体の中にそれが写った状態を感じみるだけで良い。ただそこだけに意識を向ける。(頭は使わない、首から下の体全体の感覚を感じてフォーカスする)


・そうすると、自然にその振動数の音が口から表され、歩こうとしなくても、自然に体が動いて歩いている状態になる。その間も常に意識を向けているのはその「感覚」だけ。(そこから動かない。)結果として、その振動数が勝手に空間に写され、その「ハル」の空間が創造される。

・「つくる」にも2通りある。
「人間が人間的につくる」と「 人間が ”無” と繋がってつくるがつくる」。後者はこわれない。「無の原初のうごき」「いのち」「あい」が宿っているので、永久に伝わっていく。


・「うごき」という言葉に対する固定観念があった💦
立ち止まっている時も「うごき」は常に存在し続けている。
その「無の原初のうごき」とは、心臓や脈(動かそうとしなくても自然に動いている)を動かしたり、海の波の満ち引きを動かしている力でもあり、地球を宇宙に浮かべている力。源の力。
その「原初のうごき」とつながっている状態をボディで感じているとき、その「うごき」の振動数はボディの振動数となり、空間に伝わっていく。


・このようにして感じ受け取った「わかったこと」は、「伝える」ことが大事。「伝える」ことによって、また相手側も「愛や喜び」を表現する。それが「そだつ・育て合う」ということ。

・さらに、無の表れである”水晶球”と”生命の華”とひひきあった時、
そこには自分一人しかいなかった。
その自分とは「状態」であり「存在」であった。
ただただ「ミマモル存在」「広がり」だった。 
 
(高口よう子)