眠たい国のタクシードライバー -22ページ目

眠たい国のタクシードライバー

主に愛国活動、タクシー乗務日記、政治のお話、etc


歴史的仮名遣

FBで山岸さんが以前紹介されてた本、やつと買つてみました。


【 次の短い文章を声に出して読んでみてください。


  一匹は目に、一匹は口に、一匹は耳に手をあててゐます。見ざる、いはざる、聞かざるといふのださうです。


私は大学のある教室でこれを学生に読ませてみました。もちろん何の問題もなくすらすらと読みました。なにしろ小学校三年生、満八歳の子ども用の文章です。読めないわけはない。
 今度は別の教室で、次のやうに事前に注意してみた。


――さ、読んでみなさい。ただしこれは歴史的仮名遣で書かれてゐます。今はふつう使はれてゐない昔の仮名遣です。戦前の国定教科書から持つてきたもので、当然旧かなの文章です。現代仮名遣とは大いに違つてゐるからよく注意して読むのですよ――


 親切な指導ですね。ところが不思議なことに、こんどはさつぱり読めない。あちこちで引つかかる。
 何も注意を与へなかつたクラスではすらすら読んだのに、親切な注意を受けた学生は読めなくなる。何も言はれなければ仮名遣なんかまつたく気にもせず中身を読みこなす。要するに、歴史的仮名遣は若者にとつて本当は何の抵抗もないわけです。


 実際、世間で出てゐる小説類などでも、例へば教科書で漱石の『こゝろ』を習つて興味がひかれて、全文を読んでみようと図書館で全集を借りて読んだとすると、それはいはゆる旧かなで書かれてゐるわけですが、そのことにたいていの人は気がつかない。何気なく読んでしまつている。つまり、みな何となくついてゐるわけです。特に習つたわけでもないのにわかつている


 旧かな、歴史的仮名遣の文章などは、ごく自然にゆつたり構へて向へば、ちつとも難しいものではない。歴史的仮名遣といふのは、文字通り歴史的に形成され整備されてきたものですから、不自然なところ、無理なところがありません。お母さんのやうなもので、特に理屈はないけれどもとにかくなつかしく慕はしく感じてゐるといつたものです。ごつごつとした手触りは全然なく、あくまでもやさしく柔らかく、なめらかだといふ種類のものです。まったく「お母さん」ぢやありませんか。 】


・・・こういふのも國體の一部なのでせうから、これからは出来るだけ歴史的仮名遣を勉強しながら、書かむとぞおもふww
間違つてたら、添削してくださいね。宜しくお願ひします m(__)m